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日本人の慢心を浮かび上がらせたオリンピック

TOKYOオリンピック2020が先週から開幕している。
開会式の様子は、知り合いと酒を飲みながら横目でチラチラと見ていたが、精神性もメッセージ性も乏しい貧相な開会式だったという印象である。

 まあ、直前のドタバタ辞任ドミノを考えればそれも仕方があるまい。
 唯一日本の面目躍如となったのは、ドローンの地球儀であろうか?

 ただあれとて、技術的な驚きのインパクトはあったが、精神性やメッセージがあったとは思われず、単なる高度な機械を見せて驚かせたというだけの印象である。

 そもそもあれは米国インテル社のサービスで、日本の独自の技術でもない。

 海老蔵さんと上原ひろみさんのピアノのコラボも組み合わせとしては驚きだが、そこに創造があったのかといえば、ただ二つを並べた以上のものがあったかと言えばNOである。

 その他はやたら映像の差し込みが多く、しかもあまりアジア人が登場せず、国際化という意味でも偏りがあるように感じられ、かといって日本的な伝統文化が秘められたものがアピールできたのかといえば、とてもそんな印象はなかった。

 聖火の最終ランナーの選択も、難民の受け入れをほとんど認めていない日本が、多様性の象徴として大坂なおみさんを選択するのは国際社会に対する欺瞞でしかないだろう。
 まあ出演していた人には悪いが、総じて小手先の演出でお茶を濁されてしまった感が強い。

 この開会式に対する国際的な評価として、このコロナ禍のオリンピックとして亡くなった方も大勢いるので、控え目でよかったという報道もあったようだが、ものは言いようで、五輪に水差さないための半分はリップサービスを含んだ言葉なのではないかと私は受け取っている。

 かの開会式の惨状を見るにおいて、私は日本人の経済大国の成功国であるという過剰な自信や慢心がこのようなバタバタな残念な結果をもたらしたのではないかと感じている。

 そもそも招致の時のキャッチフレーズは「日本だからできる新しいオリンピック」であり、日本はほかの国に比べて優秀であるといったアピールがにじみ出ていた。

 確かに経済大国・技術大国などと言われて、世界の中でそれなりに高い位置にあったのかもしれないが、どうも上記のキャッチフレーズには、日本人の優越意識が滲み出ていて慢心が感じられる。
 またその後の開催が決定した後の準備過程における数々のバタバタは全て日本の自信過剰体質が招いたものだという気がする。

 例えば新国立競技場のデザインについて言えば、最初から建設予算を見越したコンペを実施すれば、あのようなトラブルにならなかったと言え、その条件の伝達にぬかりがあった部分に慢心から油断のようなものが見える。
 最後は国がどうにかするといった甘えのような予算に切迫性を感じていない意識が運営側に見えるのである。
 またエンブレムのデザインも、業界の癒着の油断が招いたトラブルであるし、今回の開会式の演出も、結局は業界の癒着丸投げ体質が災いして、しっかりとしたスクリーニング(身体検査)をしないまま人選したというのが原因であろう。

 聞くところによれば、どうやら国がやったスクリーニングとは政府の政策に否定的な意見を述べたかどうか、つまり彼らの言うところの反日思考ではない部分だけがチェックされていたようである。
 つまり国際的なタブーを踏んでいないかなどのチェックは行われていないようで、根拠なき自信があったのかもしれないが、国際的なイベントを開催する認識に乏しい「井の中の蛙」感覚であったといえよう。

 かつて、訪日観光客がたくさんいた時期、外国から賞賛されているという声がニュースに取り上げられ、自画自賛の自国上げが非常に目についた時期があった。
 もちろん自国を褒められること自体は私だって悪い気はしないだが、視野の狭い人間がああいった情報を与えられてしまうと万能感が増長されるだけで、あまり良い影響はないと感じていた。

 それでなくても日本政府の方針に否定的な意見を唱えるだけで反日だという言葉が飛び出るくらい、日本という国に万能感を感じている人が多くなっていた時期なのであった。

 その結果、コロナ対策も無責任な安全宣言の下、穴だらけのバブル保護や、きちんと指示が出されていないボランティア運営など、綻びが沢山目につく運営となっている。
 政権上部は、かつてから大規模国際的スポーツ大会を何度も実施してきているから、オリンピックとて乗り切れるだろうという自信があったのだろう。

 しかしそういった成功体験があったとしても、時間が流れ世代交代は確実に進んでいるわけであり、かつて成功を担っていた人たちからノウハウが完全に受け継がれているわけではない。

 故にオリンピックというイベントを乗り切るには、いろんな面で全てをゼロから作りなおすくらいの気概が必要なはずなのだが、既存のインフラやサービスを利用することで乗りきることで何とかなるという慢心があったようで、それが現実になったのが今回の開会式だったのである。
 今回、そういった慢心が浮かび上がった結果、日本の次の進歩につながってくれるととても嬉しいのだが、果たしてどうなるのであろうか。

上海ワルツ:
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