先日、知り合いの翻訳会社から日本語の添削を頼まれた。中国人が書いた日本語ならよくある話であり以前からも良く頼まれていたのだが、今回は明らかに日本人が書いた文章である。何故それ分かったかというと「てにをは」はほぼ問題なく、間違えた場所があるとしても日本人にありがちな間違え方だったからである。
しかし送られてきた文章は非常に直訳的で、中国語の構文をきちんと捉えていないようで、翻訳文章は日本語文法は正しくとも、全体として文章の意味の通らないような箇所が何箇所もあった。特に主述関係がぐちゃぐちゃで、主語と述語が結びついていなく、長い一文の中で、主語に対してかかるべき動詞がないまま、文章が終わっているような文章も多々あった。恐らく留学生か誰かを使って日本語に翻訳させたものであろう。
本当は彼らのほうが私なんかより中国語の勉強時間や、語彙力に関してははるかに上のはずであり、もっと正確に中国語を理解できるはずで、綺麗な翻訳文が出来上がってきても良いはずである。
しかし現実ではそうではない。
この翻訳者は中国語は上手になったのかもしれないが、日本語がまだまだなようである。少なくとも翻訳された文章が日本語として意味の通るものか、翻訳した本人が理解できる内容になっているかを本人が理解できなければならないのに、わけのわからなくなっている文章が翻訳文として提出されている。
これは中国語能力というより日本語能力の問題である。
幾ら中国語が上手になったとしても母国語側の日本語能力がこの状態では、例えば中国語を生かして働こうと思った場合、日本人人材としての評価は厳しい気がする。
私なんかの中国語能力は、長く留学した方に比べれば会話も読解も圧倒的に低いのだが、日本語として最低限の常識的な文章と、言葉や仕事に関する「勘」で何とか中国でも仕事が成り立っていると思っている。
日本語文章もこのブログの文章を見ていただければわかるように、決して綺麗ではないが、とりあえず意味の通る文書を書くことができている。(はずだと思いますが最近誤字が多い気が、、、)
最近上海で仕事をしていて特に感じるのは日本人の人材には日本人としての日本語の能力を要求されているということである。
上海には日本語のできる中国人がたくさんいるので今の私の仕事の範囲では中国語の能力が高くなくても、コミュニケーションやビジネスの商談に関しては何とかなっている。
しかし、今回のように小さな翻訳作業や日本語文章の作成時に「日本語のできる中国人」では難しいレベルの文章を要求され場面が多々あり、中国にいるのに中国語で神経を使う場面より日本語で神経を使う場面がとても多い。
中国語のレベルの低い私がそうなのだから、留学を経て高度な中国語能力を持つ日本人として評価されたい日本人は、同時に高度な日本語能力を求められるといってほぼ間違いないと思う。母国語であるからといって安心してていてはいけないのである。
外国において、日本語の文章が下手糞だと見られてしまうことは、中国語が下手だと思われるよりとても恥ずかしい。もちろんこれは中国語に限らず英語圏でも同じだ。
これから外国語を勉強し、外国語を武器に働こうと思っている方は是非まず、ご自身の日本語能力を点検することをお勧めしたい。