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近石真介さんと七円の唄

先月、近石真介さんが亡くなった。
彼の肩書としてはラジオパーソナリティと言うか声優さんと言うか声を職業にした方である。
かの近石真介さんとは縁があると言うか、私にとって私の記憶にない思い出がある。

故人と私の縁というのは私の母親が結んでくれたと言うか、縁の直接の当事者は私の母親である。
実は以前に永六輔さんがやっていたラジオ放送の番組の中で「七円の唄」というコーナーがあった。

七円というのはこういったコーナーが始まった当初のハガキの値段で、ハガキ一枚に対して個人の色々な想いをのせて投稿し、それをパーソナリティの永六輔さんや遠藤泰子さんが読むというコーナーであった。
そのはがきコーナーに対して私の母親が、投稿を送って詠まれたということがあったとのこと。

もちろん私自身に来その記憶はない。

 先日母親にどういった内容を投稿したのかを聞いたらもう覚えてないということらしい(笑)
まあその内容はともかく、このはがきが私にも縁が生まれるきっかけをあたえてくれたようで、そのラジオの番組の企画として当時としては珍しくハワイ旅行へ招待されるという企画がありそれに当選(入選?)して、私の母親はその旅行に参加したのである。

この旅行に参加することになった時期は、私自身がまだ一歳に満たない頃で、当時23歳の私の母親は、乳飲み子の私を抱えハワイツアーに参加したことになる。
しかも同行したのは父親の帯同ではなく女性の友達一人である。
私自身の今の価値観尺度から言えば、非常に若いママギャルが幼子を連れてハワイに行くという風に映るシチュエーションであり、怖いもの知らずのとんでもない母親だなぁと感じる状況だ。
まあ自分の母親のことなので実際のところそういった意識は持たないが、やはり第三者的な視点から言えば危なっかしい無鉄砲な行動だと映る。

そのハワイツアーで番組スタッフとして一緒になったのが近石真介さんであり、先日も書いた愛川欽也さんであった。
そういった、たった7円のはがきの縁で一緒にハワイに行ったのが近石さんとの縁であり、今回の訃報は人生のスタート地点を思い出すきっかけとなっている。

今回近石さんの訃報をきかけに、このエピソードを母親から聞き出して調べているうちに「七円の唄」の投稿をまとめた本が出ていることを知り、取り寄せてみた。

七円の唄の本

どうやらその本は比較的後期の話を集めたようであり、私の母親の作品は掲載されていなかったのだが、 読み込んでいくと投稿の一つ一つに色んな小さなドラマがあり、その延長として私の母親の投稿もあったのかなと想像している。
残念ながら私の母親の投稿内容は母親の記憶復活に頼るしかないが、分からないことが逆に想像を膨らませてくれ、それを楽しんでいる

 近石真介さんが亡くなってしまったのは残念だが私の生まれた当時のエピソードを想像する良いきっかけになっており、そういった意味でこの本を楽しんでいる。

上海ワルツ:
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