ここ数年、大阪や国内で大阪市のH市長が人気のようである。
歯に衣着せぬ物言いと行動力が人気のようで、知事時代の財政赤字に対するバッタバッタと行動した対応が庶民に受けているようだ。
まあ長年の累積した赤字は膨大で、それに手をつけなければ破綻が見えていたから行財政改革を断行するのは決して間違いではないし、そこに府民や市民が期待することは間違っていない。
しかしである。
その期待には大きな誤解が混じっていることも事実である。
恐らく、支持者たちの期待には行財政改革が進めば自分たちの暮らしも楽になる方向へ向かうだろうという希望が混じっていると思うが、それは全くと言っていいほどの誤解だということになる。
自治体の財政改革を単に進めるだけでは、むしろ庶民の生活にとってはマイナスはあってもプラスになることは考えにくいのである。
何故ならば自治体の財政改革を進めるということは、即ち財政支出が減るということであり、財政支出が減るということは、その減らされる名目が人件費であれ、公共事業費であれ、補助金であれ、とにかく府や市のエリアに対するお金の支出がなくなり、そのエリアでお金が流れなくなることを意味する。
もちろん働きの悪い公務員や議員に払う給料などはカットされるべきものと考えるのは当然だが、例えロクでもないと思われる人々に払われる給料であっても、その人が生活をしスーパーや買い物をし飲食店で飲み食いする費用が地元に落ちているならば、その分だけ地域経済へお金が流れているわけで、それをカットすることは地元への経済流入がその分だけ無くなるということを意味する。
それだけ自治体財政と地域経済は繋がっているのである。
例えば100億円という金額を自治体がカットすれば、単純に言って100億円が地元に落ちなくなるということを意味する。
当たり前だが、このような単純カットを行なえばその自治体の財政はよくなる反面で地域経済は悪化することになる。
民間企業の社長ならば、自分の会社が黒字になればそれで十分で優秀な社長という評価になろうが、自治体の長となるとそういうわけにはいかないのである。
もし財政支出を100億円カットするならば、財政支出以外の方法で同様の規模のお金が地域で動くような施策を取らなければ、その地域の経済は結局悪化することになる。
このような単純カットはある意味どんな馬鹿な政治家でも出来る単純な施策で、それだけで世の中が良くなるようならば政治家は苦労しないし、最初から財政赤字など積み重ならないはずなのである。
世の中をなんとか良くしようと補助金などの財政支出に頼った施策を積み重ねた結果出来上がったのが今の財政赤字なのであり、もちろんその中には議員たちの誰かが私腹を肥やすための下らない支出が混じっている可能性があるにしろ、財政赤字になってしまった経過にはそれなりの正義の看板があったはずである。
それを自治体が代替策なしに一方的に財政カットのみを実施することは、ある意味地域に対する自治の放棄であり、無責任ともいえる行動となる。
そんな対応施策が見えてこない中で、目に見えて分かりやすい結果として財政カットの数字を見せて行動力をPRする彼らに対して、我々の生活向上への根拠のない期待感を膨らませるのは誤解であり危うい気がする。
ところでこのような視点で見れば現在野田さんやろうとしていることは理解できなくもない気がしている。
世論は増税をする前に無駄な支出を減らせと叫ぶ声が大半だと思うが、その中身が無駄であろうがなかろうが国の支出を減らせば上述の論理でその分だけ国内にお金がまわらなくなるわけで、その分だけ青色吐息の日本経済には直接的な打撃を与える。
ならば実際にお金を動いている部分から救い上げる消費税ならば、経済にそれほど大きな悪影響を与えずとりあえず財源を確保することができ、財政改革を進める余裕がそこに生まれる。
ここに少し余裕が生まれれば、経済への影響を考慮しつつ代替施策を探しながら財政支出を減らす時間的余裕も生まれるであろうが故に、野田さんは敢えてそういう選択肢へ進もうとしているのではないか、H市長の空虚な躍進を見るに連れ、最近そのように感じるようになった。
消費税の問題は選挙時のマニュフェストが絡んで、道義的問題でなかなか進めにくい問題ではあろうとは思うが、ギリシャやフランスの選挙結果を見ても分かるように個人の利益だけを欲しがる選挙民の行動というのは意外と無責任だなというのが率直な感想で、そういう面で言えば野田さんは敢えて憎まれ役や道義的違反を承知で進もうとしている姿に本気で国を建てなおそうとする覚悟が見える気がしている。
まあただ今の内閣の東電の扱いはかなり異論があるので野田さんの施策なら何でもOKというつもりもないのだが、、、