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「絆」なんて安っぽい言葉いらない

<「絆」なんて安っぽい言葉いらない>

 これば昨日の昼食時に見たテレビで、日本の被災者がテレビカメラに向かって発していた言葉である。

 地震以降、募金以外の満足な協力を出来ていない自分にはこれは耳の痛い言葉であると同時に、彼ら同様に無責任に言葉を乱用する人たち、行動が全く伴わない人たちに対して怒りも感じる。

 地震の困難を乗り越えて皆で協力し合おうと、昨年の漢字にも選ばれたこの「絆」だが、現実には掛け声ばかりで瓦礫さえ満足に受け入れてもらえない日本社会に、何ぞ「絆」だと被災者たちに怒りがここに表されてる。

 福島からの移転家族の子供が幼稚園で入園拒否されたという話も耳にした。

 私自身は昨年の4月には一度帰国したが、その後ずっと上海にいたということもあり、協力できることはもっとあるのではないかと思っていたものの結局は大したことは出来ていないのでやはり絆を口にする資格はないかもしれないが、それなりの協力はしてきた。

 でも「絆」というのは苦労を分かち合ってこそ生まれる「絆」であり、何の自己犠牲も払わず生まれるものではない。

 結局、絆というのは困難の時だけ「絆」が有るフリをするようなそんないいとこ取りはできないような気がする。

 普段から周囲をないがしろにしている人間が、こんな時だけ震災をネタにして「再び3月11日を迎えて」などという分かったようなブログを書いているが、表面上わかったような文章を書かれても、あまりにも安っぽい言葉にしか聞こえず、震災を単なるブログのネタとして使っているようにしか思えず被災者に対して申し訳ないという気がする。
 
 言葉だけならいくらでも言える「絆」という言葉だが、日常から何の犠牲も払わず努力もせず、現実を伴わない口だけの人間が口にしないで欲しい言葉だと私は思う。 

原文

上海ワルツ:
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