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涼しくなったらブルックナー

 ブログとして音楽について書くときは比較的誰にでもわかりやすい曲についてなるべく書こうと思っているが、まああまりライトな曲ばかり聴いていると思われるのも嫌なので今回はついて来れる人が減ってもいいので少し重めに、、ブルックナーの話題。

 年がら年中クラシックの曲を聴いている私でも、さすがに上海の真夏の時期にはブルックナーの曲を聴こうとは思わない。

 上海の真夏の暑さに頭も心も参っていて、ブルックナーの交響曲が紡ぎだす分厚くそして思慮深い音楽の響きに、とてもじゃないが頭も心もついていけないからだ。

上海大劇院

 しかし秋に入り気温が下がり始めると、途端に頭と心の重しが取れたようにブルックナーの曲を受け入れる余裕が生まれる。

 その中でも現在はまっているのが最後の未完の交響曲である第9番である。というかブルックナーのCDはほとんど実家に置いてきてしまっていて、手元にあるのはカラヤン&BPOのブル9と、ベーム&VPOの4番くらいなものであるので仕方ない。
(肝心なチェリビダッケエディションは家でしっかり眠っている)

ブルックナーの曲は全体的にアダージョ的な雰囲気が漂っているイメージがあるが、現実的にはそうではなく、その曲に人間の内面の激しい信仰心的な動機がずっと漂う。

 とくにこの第9番は死を間近に感じたブルックナー自身が己の激しい炎を燃やすがごとく強い音を響かせる。「愛する神へ捧ぐ」と譜面に記されたとされるこの曲はそんじょそこらのロックなんぞ顔負けの非常に重厚かつ激しい音楽が展開する。

 そして断筆となった最後の楽章では死への悟りのような主題と、死が差し迫った瞬間に神の降臨のような光が差し、最後は静かなコーダで天に召されるように音が消えていく。
 そこがブルックナー好きにはたまらない至福の瞬間をもたらし、心に余韻を残す。。。

 こんな風にたっぷり60分もかかかる音楽をじっくり聴くにはやはり真夏の上海は暑すぎる。涼しくなって体力と集中力に余裕があってこそのブルックナーなのである。

 まあただ出来ることならCDではなく、いい環境、いいオケ、いい指揮者、そして良い聴衆と一緒に(ちょっとイヤミか)ナマで聴きたいというのが本音である。
 ブルックナーの響きを感じるにはやはりCDでは物足りなすぎる。。。

 

上海ワルツ:
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