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生活がかかってるから

この1年、土曜も日曜も結構返上していろんな部分の仕事に取り組んでいる。
何でそこまでするのかと言われれば、「生活がかかっているから」と以外答えようがない。

経営者ではないので労働法のような尺度で測れば明らかに基準オーバーなのだが、まあ強制されたわけではないので訴えようも無く、逆に勤務時間をきっちり守って、それ以外の時間の努力しないということになれば、食いっぱぐれて野垂れ死にするかもしれないという意識のもと休日夜間問わず仕事をしている。

 別に仕事が趣味で仕事から離れられないわけでも無いし、仕事が面白くて止められないから土日も仕事をするわけではない。
 もう少し気持ちに余裕が有れば週末はきっちりオンオフを切り替えてリラックスしたいのだが、どうもまだその余裕が無い。

 同じ境遇にいるはずの同僚は、会社以外の事情で生活に余裕があるらしく仕事に生活がかかっているという緊迫感が見えてこない。

 どうも仕事上の判断や行動の仕方が甘く、頓珍漢な仕事をやり方をする。
 はっきり言うと仕事が甘いというか、状況分析がまるで出来ていなく利益に繋がる判断や行動ができないのだ。

 本人に要因がある状況の悪化に対しても、要因を否定するかのように別の面で改善をしようとするのだが、結局はその要因を改善しなければ別の改善案も機能しなくなるということが理解できないようだ。
 総じて判断にシビアさが無くまるで趣味のごとく仕事にスマートに接しようとする。どうにも仕事の結果そのものへの接し方が他人事のように見えてしまう。

 そんな同僚は仕事への重大な影響を知ってから知らずか、年に何度も帰国して現場を離れる。

 こちらは1年に一度の帰国でさえ慎重に熟慮を重ねて日程を決めようとしていて、それさえ仕事の都合で飛ぶかもしれないという状況の傍らで、あっさり帰国されると非常にカチンとくる。
 これが目の前の仕事に生活をかけている者とそうでない者の意識の違いなのかなぁと思うとちょっとがっくりである。

上海ワルツ:
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