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ギリギリののところで粘れるか粘れないか

 思い起こせば私の人生は挫折とピンチの連続である。でもなんとかギリギリのところの踏ん張り切り抜けてきた。

 小学校時代に習っていた柔道の試合、中学時代の部活、大学入試、卒業、社会人になってからの諸々の仕事や事件、そして中国渡航まで最後のギリギリのところで踏ん張ってなければ恐らく、人生が変わっていた、いや終わっていたかも知れない出来事ばかりである。

 普段からコンスタントに努力していればギリギリになって慌てずに済んだのになぁといつも振り返って反省するのだが、まあ途中だって手をぬいてさぼって生きてきたわけじゃない。

 確かに多少斑があるが、どのステージも結構いろんなことに全力でぶつかっていて、ちょっとほったらかしになっていたことをぎりぎりにまとめて処理するから苦労するのである。
 夏休みの自由研究に夢中になって時間を消費し、最後になってドリルの宿題をまとめてやるようなものであろうか。

 まあ、そんなこんなで今があるのだが、こういう生き方は宿命のようなものでいつも同様の状況に追い込まれている。

 ピンチを迎えてギリギリののところで粘れるか粘れないか、これはとても重要で、世の中には嵐が過ぎるまでじっと耐えなければならないピンチと、必死にもがかなければ解決しないピンチの2タイプがあるが、前者は何もしなくても乗り越えられる場合があるが、後者の場合は何もしないでいては結局ゲームオーバーになるだけなので粘らざるを得ない。

 もちろん状況をだまって指をくわえて見ていても何も解決しないし、解決しないどころか、時間が過ぎるごとに状況が悪化していく。ギリギリまで何とか粘ってもがいてピンチを脱出するしかない。そうやらないと乗り越えられないし、生きていけない。
 まあ毎回いつものこと(?)とはいえ、毎度毎度結構大変なのだが、粘りが「信条」の私にとっては、土壇場で何もできないまま負け犬にはなりたくないのである。

 粘り続ければ、何らかの活路が見えてくる。

 そう信じている。

上海ワルツ:
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