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愛川欣也さんに抱いてもらったことがある。

 先月、タレントの愛川欣也さんが亡くなったと伝わったが、実は私が赤ん坊の時に愛川欣也さんに抱いてもらったことがあると両親から聞かされたことがある。

 私がまだ1歳にも満たないような時のことで、当時母親がラジオの懸賞か何かに投稿し、見事ハワイ旅行を当ててしまったとのこと。
 あのころは海外旅行もまだ珍しかったため、こんなチャンスは滅多にないと大胆にも生まれたばかりでまだ乳飲み子だった私を連れて、友人に付き添ってもらってハワイに行くことにしたようだ。
 (父親は留守番だったようだ)

 そんな時に羽田空港で偶然出会ったのが愛川欣也さんで、母親は有名人に会ったうれしさからか、私を愛川さんに抱いてもらったとのことのようだ。

 ネット上の愛川さんの経歴から推測すると、パックインミュージックというTBSラジオのDJで人気が出始めていた27歳くらいのころであり、松下電器のラジカセのテレビCMで「あんた松下さん?」という流行になったセリフで有名になったころであろうか?
 少なくとも、トラック野郎への出演やテレビの司会業で忙しくなる前の時期であり、愛川欣也さんという存在を母親がよく知っていたなと思えるほどの時期である。

 ただ、私の実家は当時自営業で食堂をやっていたといこともあり、ラジオは一つの必須ツールだったし、特にTBSラジオ(当時は東京放送)は非常に身近な存在であった。
 そんな母親が私を妊娠中にもラジオをよく聞いていたことは考えられ、結局そのハワイ旅行でさえもラジオからもたらされたものであるから、そのラジオの人気DJとなっていた愛川欣也さんは、電波の向うのちょっとしたスターだったのかもしれない。

 実家には私が愛川さんに抱いてもらった当時の写真が確か残っていたと思うが、そんな印象からか、愛川さんに対してはどこか親戚のおじさんのような近親的な印象を持ち続けており、普通の芸能人とは違う印象を持ってずっと彼を見ていた。

 まあ結局その後はテレビ以外では一切彼を見かけることはなかったが、先日の訃報を聞いて、なんだか親戚が亡くなったような懐かしい感覚を受けたのは自分にとって不思議なことであった。

 今回の訃報は非常に寂しいニュースではあるが、自分にとっては赤子の時のことに思いを巡らすきっかけとなり、悲しさより懐かしさが勝る状況となっている。

 愛川さんには、どうかゆっくりとお休みいただきたいと思っている。

上海ワルツ:
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