先日、ある友人のお店に行った時、店に飾る鶴を折るのを手伝ってくれと言われ、「ホイ来た」と安請け合いをしてしまった。
鶴なんぞ十年以上折っていなかったが、子供の頃さんざん折ったので体が覚えているだろうと折り始めた。
で、対角線で4つ折りにして、そこから展開をして正方形の状態になったまでは良かったが、はたとそこから先が思い出せなくなった。
「あれれ?ここからどうするんだっけ?」、、立ち往生である。
確か細長い形に展開するような気がしたが、どうやっていいのか分からなくなった。
ああだこうだこねくり回してみたがどうにも思い出せない。
こうやって取り組んでみると鶴の折り方を考え出した人は凄いなぁと、こんな状況にも関わらず、昔の人に妙に感心しつつ暫くの間こねくり回していた。
たかが折り鶴のことであるが、外国にいる日本人として、鶴を折れないと何となく恥ずかしい気がして意地になっていた。
するとなんとなくおぼろげに思い出してきた。
こうやって、ああやって、うーん、、、、、、あああ、できた!!
何とかかんとか完成形まで持っていくことができた。が、この間30分近くかかった。
しかも、こねくり回したお陰で紙がぐちゃぐちゃで、しかも折り方が非常に汚くなっていた。
これではあかんともう一枚紙をもらって再挑戦し二つ目は今度はそれなりに綺麗に折ることができた。何とか面目躍如というところである。
うーんそれにしても人間の記憶とは悲しいものである。子供の頃あれだけ折ったのに忘れてしまうなんて、
しかも中国では折鶴には愛情表現の意味があるようだから、それを忘れていた私はつまり、、、そういうことになってしまう。
まあ今回思い出せて良かった気がするが、今後も忘れないようにしないといけない、いろんな意味で、、、。