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ブラームス交響曲第4番

 クラッシックと呼ばれる曲は星の数ほどあり、私も数多く聴いてきているが、私にとってこのブラームスの交響曲第4番は特別な曲である。
 この曲は名曲の一つとして列挙されることも多いが、その評価ほどには演奏される回数もそれほど多くないのではないかという気がする。
 ブラームスの交響曲といえば、1番や2番がよく演奏され、それに比較すると4番が演奏プログラムに載ることは少なめな印象である。

 それは何故か? 

 まぁ私は演奏家では無いので詳しいことは分からないが、この曲は演奏が難しいというか深い表現力が要求される曲だからではないかと推察する。
 巷の名曲と呼ばれる曲などの中には、アマチュアオケなどのように演奏者の技術レベルが低くてもそれなりに曲の力で聴けてしまう曲もあるが、このブラームスの交響曲第4番はそうはいかない。
 この曲は演奏者を選ぶというか、それなりの技術を持っていい音色を響かせるオーケストラと、しっかりとそれをドライブ出来て表現力を引き出せる指揮者でないと、音楽が音楽にならず聴くに耐えない状態になってしまう。
 
 実際、先日YOUTUBEで日本のアマチュアオケの演奏会の様子がアップされていてちらっと見たが、始まってすぐに聴くに耐えられなくなり切ってしまった。
 普段ほかの曲ではアマチュアとてそこまで差を感じることはないのだが、この曲は演奏者の力量というか経験がモロに出てしまって辛かったのである。

 このブラームスの第4番は、言葉で説明しようとするするのはとても難しく、言葉が曲を薄っぺらくさせてしまうことがとても怖いのだが、敢えて勇気を出して書けば、人の心の憂いだとか迷いとかがこの曲の根底に流れていて、ため息をつきながら逡巡する人の心模様が表現されている曲となっている。
 ただそれは必ずしも暗く沈んだものではなく、心の内面に沸々と湧き上がる熱さと力強さ故の逡巡でもあり、前を向くが故のもどかしい心の葛藤であり、メロディがそういった心を時に鼓舞し、時に心に寄り添うように優しく包み込んでくれる。
第一楽章、第二楽章と、心の葛藤に向き合った後、第三楽章で一瞬華やいだ明るさを取りすが、第四楽章で再び悟ったように葛藤の中に戻る。
 そういった一人の人間としての人生を悩むような心の葛藤がここに存在している。

 この曲は、特に未来への希望の途中で心の孤独に耐えて自分と向き合わなければならないようなときには、非常に心に染みる。
 このような意味で、私にとって若い頃から非常に心の支えとなっている曲である。

故に迂闊に中途半端なレベルの演奏を聴きたくない曲であり、やはりそれなりに力がある指揮者でないと聴く気がおこらないのである。


 

上海ワルツ:
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