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上海ワルツNEW



2009年08月04日 ずれていく言語感覚
外国にずっといると、日本の言葉感覚とずれが出ることが非常に怖くなってくる。
もちろん日本語そのものを忘れることはないのだが、カタカナ言葉の使用を急激に控えている自分に気がつく。
日本語のわかる中国人と会話をする時の癖がしみついているのである。
 日本語のできる中国人は、頭が良いほうの部類なので、たいていは英語も少しは理解できるのだが日本のカタカナ英語は、英語の意味も発音もなしていないので彼らには通じない。日本語で広く流通している言葉であればカタカナ言葉であっても彼ら彼女らも学習しているので理解しているが、日本人が気軽に感覚的に使っている言葉は彼らは理解しない。故に平易に日本語な置き換えなければならない。「ポジティブに」を「積極的に」とか、「リアルだ」を「本物のようだ」とか細かいところに日本語の中にカタカナ英語は存在するので非常に気を使う。
 一方で日本のテレビや、ネット情報を見るとカタカナ用語がますます増えてきている。間接的にテレビやネットを見ていても、そこに暮らしていない私にとっては接する頻度が圧倒的に違う。どうしても日本国内で使われている言葉のニュアンスや感覚と外国で暮らしている自分の感覚がずれていくので、そういうところが非常に怖い。


 実は私の周りに、中国やその他の欧米系の国に長く住んでいた人が何人もいるのだが、それらの人々の言語感覚もまた、日本に生来住んいる人のものとも私の感覚とも違う。日本語の普通教育を受けて、基本的な会話や相互理解には問題ないはずなのだが、文章を書かせてみるとすぐにわかってしまう。
 同じ概念に対する言葉や単語の選択や、同じ言葉から受ける意味が私やおそらく日本の人々の平均であろうと思われる感覚からずれている。
 欧米的思考や中国語的思考から発せられた言葉だなと気づけば、理解は出来るが違和感は感じる。日本国内にいるときは、同じ日本語で会話すれば相互には共通理解ができると思っていたが、文法や語法が同じでも単語のニュアンスがずれていけば、同じ日本語という言語圏の中でも文化が分離していく可能性は否定できないと感じるようになった。
 かつて韓国と北朝鮮と中国の朝鮮族は同じ民族で、同じ言語を持っているはずだったが、地理的歴史的分断により、言葉として相互理解は出来るが文化が違ってきていて、自国以外の人間と話すと相手がどこの人間かはっきりわかるという。イギリスとUSAの英語もはっきり違うのも有名な話だ。
 いずれ日本語にもそういう時代がやってきてもおかしくはないのだが、日本語は言葉の言い回しやニュアンスを大事にする言語であるだけに分化によってその良さが失われることのないように願いたい。







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プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で営業職に日々悪戦苦闘中。


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