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2009年11月12日 1000年前の日本人と会話が出来るか?
今日、インターネットでニュースをチェックしていたら邪馬台国関連のニュースが出ていて、遺跡の発見によって近畿地方の畿内説がさらに有力なったとのこと。
 ふーんと思いつつ、その後興味の赴くまま九州説と畿内説の論点についてざっと目を通したが、そういう資料を目にしているちに、今もしタイムマシンがあったらこの時代に戻って調べてみたいなぁとふと感じた。

 しかし!

そこで言葉が果たして通じるのかと心配になった。
まあ常識に考えて恐らく言葉は通じないであろう。
同じ日本人としてその歴史の積み重ねの末端にいる自分であるが、その時代の間には言葉は相当変化しているはずであり、文法すらも違ったものであったかもしれない。
 日本古来の「ヤマト言葉」とされている「やま」などの発音くらいは通じて欲しい気もするが、それだってそのまま通じるとは思えない。



 じゃあ、何年前の日本人まで会話することができるのかと非常に気になった。

 いろいろ調べてみるとこれは非常に難解な学術的テーマらしい。
何故かと言うと、昔から口語と文語は乖離しており、文献は当然文語で書かれており、口語で語られたものを録音するような技術がない昔のことなので、口語がどう発せられたかを知るすべがないからである。
 漢字の筆談であるならば、単語の使い方さえ気をつければ、平安どころか聖徳太子の時代くらいは意志の伝達が可能かもしれないが、口語となると全く以ってわからないと言うのが実のところのようである。

 個人的には江戸の中期くらいはイメージ的に落語などの文化の発生した時代と考えれば会話は成り立ちそうだが、ならば戦国時代の織田信長とは話ができるのか、源義経と話が出来るのかと遡れば遡るほど自信がなくなる。聖徳太子くらいになるとやはりお手上げのような気がする。10人の言葉の前にまず私は言葉が聞き取れないに違いない(笑)

 さてどこが境界線かはさておき、今からちょうど1000年前というテーマに絞って考えると当時は平安時代真っ只中で、俗に言う摂関時代である。
 藤原道長などが巾を利かせていた時代であり、この頃すでに表音文字としての「かな」は完全に独立していたようである。
 かな一つ一つの発音は今と違っている面もあるようだが、当たらずとも遠からじで文章を読む発声の範囲では私にも聞き取れるのではないかという気がしている。
 会話が成り立つほど聞き取れるかどうかは分からないが、今上海で上海語を聞くような範囲で部分部分で単語は拾えそうな気がする。まあ単語そのものが難しいかもしれないが古文朗読の訓練を少しすれば何とかなりそうな気がする。
 そう考えるとちょっとわくわくする。


 ちなみに会社の中国人に、1000年前の中国人と会話ができるかと質問したら絶対無理だと言っていた。筆談なら可能だが会話は無理らしい。
 清代あたりを境にだいぶ言葉が変わっているらしく、今の言葉は古代の言葉に比べてかなり口語的になっており、漢字一つ一つの意味も変わっているようだ。

そう考えると同じ漢字文化の源泉を持ちながら、「かな」という表音文字を持てた日本語を話す文化にいるということが、ひょっとすると1000年前の人と会話できる可能性を持たせてくれていることが、ちょっと得した気分にさせてくれる。


2009年10月26日 「おくりびと」を見た
とくに時間が余分に出来たわけでもなかったが、心に潤いが欲しくなり前から観たかった「おくりびと」のDVDを今更ながら観た。
納棺師の仕事というのを初めて見たが、装束を着せるシーンなどは昔からどうやってやるのか不思議に感じていたところなので、ご遺体の尊厳に配慮した手さばきに非常に感銘した。
 この作品は、主演の本木雅弘さん自身が、もとになった本を読んで感銘を受けて映画を作製することになったらしいが、それだけ思い入れがあるだけあって、演技もすばらしく「心をこめた」という言葉がぴったりの納棺師ぶりであった。
 それと、このドラマに限らないのだが、広末涼子が演じる妻が旦那を健気に支えるような夫婦愛のシーンを見てしまうと、自分にはない世界に非常に羨ましく思うところがあて、そのことだけでも感銘を受けてしまう。
 死を題材にしながら、人と人の気持ちを感じられるいい映画だったように思う。


2009年10月19日 上海で撮影された映画「昴」
ひょんなことから、この映画の存在を知ったのでDVDを買って見てみた。
原作は同名の人気漫画のようで、私はこの作品を見たことがないが、漫画を映画化したときに往々にしてあるように、この漫画が好きな人がみたらあっさり過ぎるのではないかと思えるような内容だった。
原作を切り離して考えれば脚本としてはそこそこ頑張っている内容のような気もするが、恐らく映画化にあたって漫画のストーリーのエッセンスを抜き出してはいても、原作に織り込まれているであろうもっとドロドロに深い内容までは救い上げられていないであろう。
 まあ何十話、何百話に渡って描かれた原作をたかだか2時間程度に押し込めてしまうのだから、それなりに内容をはしょらなくてはならないというのは仕方ない。
そうは言っても、映画だけを見ている自分からしてもあっさりしているので、やはりエネルギーとしてはちょっと弱めの作品だ。

今回映画用にストーリーも若干の設定変更が行われているらしく、例えば原作には上海は登場しなかったようで、故に映画ストーリー上も国際都市というカテゴリ以外は上海というステージに意味があるわけではない扱いだった。
まあ今回アジア各国のコラボという触れ込みもあり、韓国・香港・中国といった共同制作体制ゆえに、作品中に東方神起らが起用される中、映画制作会社の都合で上海が選ばれたようだ。
 よって上海が舞台になっているシーンでさえ中国語のシーンはほとんど登場しない。まあこういった設定の変更なども、原作にあったであろうエネルギーを削ってしまった要因もあるのかもしれない、



 で、見ていない人のためにあらすじ的説明は避けるが、主役の黒木メイサさんなど出演者はよく頑張っている。恐らくダンスシーンには替え玉ダンサーも混じっていると思うが、本人の動きもかなりさまになっている。聞くところによると、何度かオーディションをやったが、主役に適う動きのできる女優が見つからず、最終的にオーディションの上、彼女に白羽の矢が立ったとのことである。もとはクラシックバレェ未経験らしいがそれなりに見せているのがさすが女優である。

 で、ストーリーまあまあ、役者よしのこの映画であるが、私の印象で言えば、監督を含めたスタッフワークがいただけない。長い間音に関ってた自分にとっては、アテレコのシーンが口とあっていなかったり、音場の考慮されていない台詞の録音を聞いてしまうと非常に耐えがたい。天下の東宝がよくこんな録音と編集でOKを出したなぁというくらい気になる。
 またシーン構成や演出的な盛り上げ方、音楽の使い方にも、あっさり過ぎる筆遣いしか感じられず、それがこの映画を平面にして殺してしまっているなぁという印象である。
ダンスの持つエネルギッシュな要素や、主人公のキャラクターをもっと生命力あふれる印象で描けるはずなのに、監督の作風なのかいまひとつ浮き彫りさせきれていないのが非常に残念である。

こんな映画を見るにつれ、生意気にも自分で映画を撮ってみたいと感じてしまった。まあ画像に関しては素人なので稚拙なものしか描けないかもしれないが少なくとも音に関してはどうにもムズムズする。そんな気持ちに刺激を与えてくれたのがこの作品である。





2009年08月25日 音楽への仕方ない余計なお世話
クラシック音楽をラジオで聴いていると、音響エンジニアの余計なお世話が鼻につくならぬ耳につくことがある。
オーケストラの演奏を生で聴いたことがある人はわかると思うが、コンサートホールでで奏でられる音楽は、最も小さい音量の音と一番大音量の音の幅が非常に大きい。
これを専門用語でダイナミックレンジというのだが、テレビやラジオの音の収容領域には限界があり、このダイナミックレンジが非常に狭くなっている。
 つまりテレビやラジオの信号に乗せる場合、信号の許容範囲内に収まるように音を調節しているのであって、音が小さい部分では音量を上げ、音が大きい部分では音量を抑えて放送の信号に乗せている。
誤解を恐れずに言えば放送の電波に乗せられる段階で音楽は電波の身の丈に収まるように歪められていることになる。
 曲中出力をずっと固定にできるような曲であればいいが大音量から消え入るような音まで激しく変化するオーケストラ曲などでは、ずっと同じというわけにはいかない。大音量のにあわせれば小音量が聞こえず、小音量にあわせれば大音量の部分で音が歪み、下手をするとスピーカーなどの機械が壊れる。
故に曲中に音量を操作する行為なんぞは、ナチュラルな音を聴きたいリスナーからすれば余計なお世話なのだが、仕方なく許容せざるを得ないのである。
 これが放送ではなくCD録音からの直接再生であればこのあたりの性能が格段に違うので、普通の人が高い性能の再生機器を使ってよい環境できけば、このダイナミックレンジの問題で悩まされることはほとんどない。
 しかしこのCDとて、結局はマイクから集音された音を記録しているに過ぎず、その録音段階で音のバランスを取っているレコーディングエンジニア(以下RE)という人の手が入っている。つまり楽器間の音量バランスをとってどのようにCDに記録するかはこのREが握っており、コンサートホールで生で聴く音楽のバランスとは若干違ってしまう。もちろんREとてコンサートホールのナチュラルな感覚を大切にしているはずであるが、ある個人の耳と手によってバランスが取られていることには変わりない。電子機器再生でのリスニングに慣れた人がコンサートホールに赴けば、オーケストラの各楽器がもっと違うバランスで響き、その音が溶け合っていることに気づくはずだ。

 しかもそもそもCDやレコードの録音というのは、クラシック音楽に限らず一つの曲を何度も録音をしたうち、各部分の一番良かったものを使ったツギハギ録音である場合が多い。
 たまにライブ録音として、曲を流しで収録してそのままCDにしている場合もあるが、全体から見ると小数である。故にオーケストラ曲のCDでもじっくり聴いていると時々ツギハギの継ぎ目がわかってしまう場合がある。まあこれも完璧な曲の録音を目指すためには必要な作業なのかもしれないが、生のコンサートのライブな流れに慣れてしまった私にとっては、このツギハギによって音楽の流れにどこか不自然さを思わせられる場合もあり、REさんの善意の作業とはいえ余計なお世話に感じてしまうのである。
 やはり音楽は生で聴くに限る。ああ、上海からサントリーホールにすぐ行ければいいのになぁ。。。


2009年07月24日 追悼:若杉弘さん
指揮者の若杉弘さんがなくなった。まだ74歳とのこと。いまどきにしては少々早すぎる死がとっても悲しい。
振り返ってみれば自分のコンサート鑑賞歴の中で、一番多く生で聞いた指揮者であったように思う。
特段気に入っていたというわけでもなかったが、国内オケは都響とN響を中心に聞いていたので、それぞれ音楽監督と正指揮者を歴任していた各々のオケをよく振っていたので接する機会はかなり多くなっていた。
さらに晩年、若杉さんはN響とブルックナーチクルスの企画を行うなど、ブルックナーの演奏回数が増えて、ブルックナーフリークの私はそれを全部聞きに行ったりするなど必然と若杉さんの指揮に触れる機会は多くなった。
 また私の尊敬するチェリビダッケがなくなった後の、ミュンヘンフィルの来日公演に同行しマーラーの9番を振る機会があったので当然私はそれを聴きに行った、つまり彼のこの時代のレパートリーと私自身のその時期のマイブームが一致していたということで、自然に接する機会も多くなったのである。


 さて、彼の音楽は、、、まあ叙情的というよりどんな複雑な曲でも整理して分かりやすく聞かせるという音楽の教科書のような振りぶりといった指揮ぶりが特徴であった。そのためオケのメンバからは演奏しやすいとの評価だったようで、まあ残念ながらそれほど熱の入った熱い演奏というものも聴かれないが、マーラーのような複雑な音楽でも分かりやすく整えて聞かせてくれたので聴くほうも聴きやすかった。
確かに音楽に「熱さ」を求めてしまうと、彼の音楽は少々物足りないものもあるかもしれないが、実は彼の選曲のセンスが生きるというのも彼の妙で、そのセンスにオケがはまったときは、やはりいい演奏を聞かせてくれる。
 数々のオペラハウスの主要ポストを歴任したことからも分かるように、オペラのような複雑で巨大なたくさんの要素が同時進行で進むような世界で活躍するには視野の狭い人間では難しく、隅々に目が行き届く気配りが必要になる。つまり彼の場合は芸術性というよりプロデュース能力にも優れた人であり、それだけ頭のよい人物であったようだ。芸術の世界でこれだけ分析力の優れた人物はそう多くないように思う。
 

そんな彼が逝ってしまった。中国に来てから生の演奏に接する機会はほとんどなくなってしまったが、時々日本の演奏会情報を垣間見ると、その演奏会のためにだけ帰国したいと思えるような機会が目白押しである。そんな中に「若杉弘」も今まであったはずなのだが、もう日本に帰っても彼の音楽に接することができないと考えるとちょっとやはり寂しい。ご冥福をお祈りします。


2009年05月20日 一番幸せな時間を思い出す曲 ハイドンのトランペット協奏曲
昨日、件のクラシックFMを聞いているときに不意に耳に飛び込んで、急に心を躍らされたのがこのハイドン作曲のトランペット協奏曲の第3楽章である。
 ラジオの中ではよく流れているので、決してこのとき初めて聴いた曲ではないのだが、昨日の夜は心に不意打ちを食らってしまった。
改めて聞いてみてこんなにネアカでワクワクする曲は他にないように思う。特に弾むようなリズムがとても気持ちいい。
そもそもトランペットというのは、どんな大きなオーケストラの中あっても音が沈まないので、独奏楽器としての適正としては最たるものであり、協奏曲に向いていそうなものだが、実はこのハイドンのものとフンメルという作曲家以外のものは有名なものは少ない。
 何故か理由を考えてみたところ、この曲が作曲されたときのトランペットは今のものより構造が単純で、その分音が柔らかくオーケーストラに相対しても音が馴染みやすいのである。


 それに対してバルブを追加して改良された現代のトランペットは、出せる音域が広がりそれ故に表現の幅が広がったのはいいが、音質が若干硬質となり、オーケストラの音の厚みの中に馴染みにくくなった。それ故、独奏楽器としては理想的になったが、その反面「協奏」を求められる協奏曲の独奏楽器としては扱いにくくなってしまったということであろうに思う。
 そういった意味で、ナチュラルな音が自然に鳴るハイドンの時代のトランペット協奏曲は人の心に自然に響くように感じるのだ。
 まあこういった理屈はともかくとして、この曲は本当に気持ちがよく幸せになれる気がする。いや正確に言うと、幸せを感じていた時期の心の状態を呼び起こしてくれ心の中にその時期の感情を再現してくれたのである。ああ、こんな幸せを感じていた時代もあったのだと自分の心に驚かされる。
 過去形として思い出してしまうこと自体いかにも残念だが、未来に対しても自信を与えてもらい勇気がもてたような気がする。
 明日からの通勤もスキップしたいような気分かもしれない。また幸せな時間がやってくる予感がする、そんな曲である。
こちらで視聴できます。


2009年05月18日 鹿島アントラーズがやってくる!
 明日の夜、AFCチャンピオンズリーグの予選リーグの試合を戦うために鹿島アントラーズがここ上海にやってくる。
 大会ついては、既にアントラーズの予選通過が決まっているために、注目度としてはそれほど高くなくなってしまったが、まだ1位通過が決まったわけではないので
メンバーは手を抜かず本気モードでやってくるという情報を得た。
 鹿島アントラーズはJリーグ創設以来のひいきのチームでずっと応援してきたが、チケットも手に入りにくく日本にいるときは数回しか生の試合を見たことがない。
それが上海で生の試合を見れるなんて、ちょっと感激である。
 ただ今回は完全アウェーということもあり、上海申花の数万のサポーターの前に数百人の日本人席が設けられるだけとの話だ。遺恨の残らない綺麗な試合が行われれば良いが、ちょっとトラブった時は怖いかもしれない状況である。まあ怪我さえしなければこれも経験だが果たしてどうなることやら。
 明日の夜20時に虹口足球場でキックオフである。
 「かしーまあんとらっーず ダンダンダダダン」



2009年04月05日 CD・MD文化のない中国
 上海の電気屋でオーディオコーナーの商品構成は、日本のそれとはちょいと違う。何が大きく違うというと、CDプレーヤやMDプレーヤを搭載した機種が皆無に近いということだ。全くないというわけではないが、日本ではコ○マ電気やヤ○ダ電気に行けばずらっと並べられているであろうこれらの商品がほとんどない。
 CDラジカセとポータブルCDプレーヤが1台ずつあればいいほうで、置いていない店も少なくない。MDプレーヤにいたっては上海に来てから電気屋で売られているところを見た記憶もない。MDの生ディスクいえ然りだ。
 その代わりDVDプレーヤの商品数は多い。確かにDVDプレーヤがあれば、CDも再生できる場合がほとんどなので合理的といえば合理的なのだが、やはりオーディオ好きから言わせるとDVDとの混在再生は邪道で、音楽だけを素直に聞きたいというのが本音である。
 実は上海に来た頃、電気屋を回ってもCDの専用プレーヤを見つけられず、自分の認識が時代に置いていかれているのではないかと焦った記憶がある。既にCDなんか持っている人間は時代遅れなんじゃないかと。。。
 この焦りが誤解だと分かるまでに実は半年以上掛かった。日本に一時帰国したとき、恐る恐るアキバのヨ○バシカメラを覗きに行ったのである。
 なんてことはない、私の渡航前と同じ風景がそこにはあり、いまだにCDラジカセやCDMDコンポは主力商品の一つとして売られていた。

 つまり決してCDやMDの文化が廃れたのではなかった。ここでようやく謎が解けた。実は現在の中国の音楽文化が特殊であり、歴史的に大衆音楽ツールとしてCDやMDの音楽文化が育っていなかったのである。
 彼らはCDやMDなどの時代を経ず、いきなりMP3などのデジタルオーディオプレーヤをツールとして大衆音楽文化がスターとしたのである。
そのためCDやMDなどの過去のライブラリーがほとんど存在せず、今の時代に新たにそのプレーヤを販売する必然性がないのが中国の音楽文化事情なのである。
 確かに歴史を振り返ってみれば CDプレーヤの第一号機が発売されたのが1982年で、その後CDは売り上げを急速に伸ばし、1986年にLPの売り上げを抜き世界の音楽文化の主役に躍り出るが、その頃の中国はまだ改革開放が始まったばかりで、とても大衆にCDプレーヤーのような高価な買い物が出来るわけもない時代である。
 その後SONYが1992年にMDプレーヤを発売するが、この時点でもまだ中国は一時滞っていた改革開放を再開させた程度の時代で、例えば上海の浦東の開発は1990年に始まったばかりである。とてもMDプレーヤーが普及するような時代ではない。そしてようやく2001年に中国がWTOに加盟した頃になって初めて中国でも大衆音楽文化が普及し始めたと思われる。HDDやフラッシュメモリを利用したデジタルオーディオプレーヤは1998年頃から発売が始まっており、この手の商品の象徴とされるi-podは中国のWTO加盟と同じ年2001年の発売開始である。

 彼らが音楽を聴き始めたとき、もう音楽はレコード屋行ってディスクを買う時代ではなくなっていた。インターネットで好き勝手に音楽をダウンロードしてプレーヤーに保存して、それを持ち歩いて音楽を聞く時代になっていた。SONYがウォークマンという超小型のカセットプレーヤを発売したときに革命的な音楽スタイルとされたが、中国人の彼らにとってはそれがスタートであり、当たり前のスタイルである。逆に家でステレオの前でじっくり音楽を聴くという習慣は粗悪な住宅事情とあいまってほとんど少数だといってよい。
 そんな感じなので音楽は彼らにとって一過性のものでしかなく、ライブラリをストックする楽しみというものが存在しないように思える。つまりデジタルオーディオは確かに便利なのだが、音楽一つ一つの存在が軽すぎるように思えるのである。
 CDやMDなどの実体物があるということはそれだけ物理的にも生活の中に空間を占めるわけで、保存するという行為がそれ自体生活の中に意味を持つのだが、保存してもしなくてもしても余り生活に影響しないということであれば、音楽を大事にするという意識が育たないのではないかと危惧してしまう。
 私が音楽好きであるが故の考えすぎであるかもしれないが中国に来てそんなことを感じている。


2009年04月01日 ネットで聴ける「クラシックFM」
 以前にも何度か書いたが、中国でクラシック音楽を聞こうと思うとなかなか苦労する。帰国のたびにPCのハードディスクに取り込んだりCDを数枚ずつ持ち込んだりしたりしているが、なかなか満足する量はそろわない。
しかも、それらの持ち込むCDに関しては、どうしてもじっくり聴きたい交響曲などの大曲系を優先したいので、どうしても仕事をしながらBGM的に気軽に聞けるタイプのライトなタイプの曲が不足する。
 そこで最近重宝しているのがネットで聴くネットのストリーミング放送の「クラシックFM」だ。この放送局はポピュラーな名曲を5分とか10分の単位で次々と24時間ノンストップで流し続けてくれる。
 日経ビジネスオンラインの記事によると、このクラシックFMは1992年にイギリスで誕生し、たちまち大ブレイクし、今では全英で620万人のリスナーがいるとのことだ。ずっとかけっぱなしのタクシーの運転手もいるらしい。
 この放送の魅力は、やはり24時間ノンストップの気楽さと選曲の軽さであろうか?聞きなれた名曲が次々に飛び出してくる。最近でこそ似たようなコンセプトの放送局が増えてきたが、結局この「クラシックFM」が一番聞きやすい気がするし、長時間聞いてもなかなか飽きることはない。定期的に入る繋ぎの曲?も聞きなれると結構クセになる。夜中に一人で作業するときはこういった音楽のリズムが精神的にリズムを与えてくれ、長時間の作業をラクにしてくれる。

 こういった音楽の力はいうまでないが、それを世界の果てから届けてくれるネットというのは便利だなぁと改めて感じる今日この頃である。
私はI- TUNEでしか聞いたことがないが、恐らく他のプレーヤーソフトでも聞けると思うので皆さんも探してして欲しいと思う。



2009年02月13日 北京でレイトショーの映画
仕事で出張した北京であるが、夜は時間があったため久しく会っていない友人を食事に誘ったら、なんと逆にそのまま映画に誘われてしまった。
聞くところによると、レイトショーで見たい映画があるのだが、切符を買いに言ったら一人だけの場合は上映しないので、最低二人分買ってくださいといわれたそうだ。
何とすごい映画館の言い分であろうかと思ったが、敵も商売なので仕方ないのかもしれない。
 そこで今回タイミングよく食事に誘った私に白羽の矢が立ったようである。
で訪れたのは、三環路と広渠門外大街の交差する双井橋のそばにあるUME双井国際電影院である。ここは出来たばかりのシネコンのようで、上映ホールが9つほどある。
結局自分が入ったホールしか覗かなかったので大きいホールがあるのかどうか分からないが私が入ったのは5番の部屋で、200人弱のこじんまりとした部屋である。
 飲み物などが高いのは映画館の常かもしれないが、ジュース1本が8元もしたのには驚いた。22時開始のレイトショーということで客が自分達しかいないのではとどきどきしていたが、さすがにあとから3組ほどのお客さんも入ってきたのでちょっと安心して映画を見ることができた。


 見たのは「非誠勿擾」という映画で、主人公が結婚相手を探していろんな相手と会うというのがストーリーの骨格。葛優という有名な俳優さんが主演を演じている。
葛優は中国移動の神州行のポスターに出ているあのおじさんであり、味がある演技で私の周りにもファンが多い。
まあ具体的なストーリーに関して書いてしまうことは野暮であるが、中国語だけの映画ではあるにもかかわらず分かりやすいストーリー展開で、後半で北海道を舞台にして話が展開するの面もあって懐かしさを感じつつ楽しむことができた。
 最近仕事が忙しくて、DVDどころかテレビの電源を入れることさえ少なくなってしまっていたので、こういった時間の使い方は非常に有意義である。
 また時間があったら映画館で時間を過ごすのも悪くないなというのが率直な感想である。
 ちょっと関係ないが、ここの映画館の【サイトの地図】がちょっと可愛い。列車が走り回るの姿がとてもユニークである。

UME 双井国際電影院
東三環中路双井橋北富力広場五階
TEL:(010)59037171



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プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

音響さんのこだわり復刻版
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