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韓国のコンプレックス

 昨日のブログの後、韓国に日本コンプレックスのようなものをもたらしているものは何かと、韓国と日本の歴史についてウィキペディアを中心にネット上で色々資料を読んでみた。

 まあ、あまり太古の昔から追っても意味が無いので韓国併合のあたりからである。

 もちろん、私が読む資料は日本語で書かれたものだけであり、当然日本人が書いたものであるなら日本人の視点で書かれているので、そこは流されないよう読んでみた。

 ただ、歴史的評価のわかれる韓国併合の史実などは、一応両論併記となっており、偏った視点にならないような工夫がされており、そんなに穿った見方をしなくてもおおよその流れを掴むことができた気がする。

 で、まあ私が感じたのは、韓国に劣等コンプレックスのようなものが生じたのは実は日本に併合されていた時代ではなく、日本の支配が終わった直後からのような気がするのである。

 このことは台湾の戦後史と比較するとその違いが明確になる。

 日本の支配下にあった時代の朝鮮半島は良くも悪くも安定した状況にあったが、日本の敗戦により朝鮮総督府が撤退したため、突如として半島の統治機構がなくなり、無政府状態に陥って、国内は混乱した。

 そこでソ連や中国などの共産勢力を後ろ盾とする北朝鮮政府と、共産圏の拡大を嫌うアメリカの後ろ盾のもとに生まれた今の韓国の基礎となる政府が生まれ、やがてその対立が朝鮮戦争へと繋がっていくのだが、ここで当時ロクな装備を持たなかった韓国側はアメリカや連合国軍に頼るほかなかった。

 結局、世界の軍隊が韓国領内に駐留することになるが、軍隊がいれば必ず必要になるのが慰安婦たちの存在で、韓国は日本軍の残していた慰安施設を流用して慰安所を設置し、連合国軍の兵たちに提供したとされている。

 この間、朝鮮戦争の前線は半島全土を二度も移動し国土を破壊尽くされたとされ、日本の支配下時代に作られた建物もほとんどなくなって産業基盤も失い、犠牲者数百万とも言われる半島全体の荒廃状態を生んだ。

 その後に朝鮮戦争は休戦したが、米ソの対立構造はベトナム戦争へと続き、韓国軍もアメリカ側として30万の兵を送ったが、韓国としては当時の国情から不本意ながらアメリカに同調した面もあるのではないかと思われ、さらに慰安軍の帯同が認められなかったためにその鬱憤は後に明らかになる現地での虐殺事件などを引き起こす状況となったものと思われる。

 一方で韓国本国では朝鮮戦争で産業が荒廃したため、ベトナムで戦争での特需目当てに群がらざるを得ない状況になり、さらには国内での米軍相手の慰安所運営も相変わらず続いていたようだ。

 しかも彼女たちの「働き」はやがてGDPの4分の1を占めるほど大きな存在となり、外貨獲得の大きな担い手だとして国ぐるみの売春産業が奨励されるまでになったとされている。

 つまりこの頃の韓国は、防共と自国の国富のために言わば米軍の穢れ役を国全体で一手に引き受けるような状態になっていたと見ることが出来るのである。

 一方でこの頃の日本と言えば1964年の東京オリンピック開催や1970年の大阪万博開催に代表されるように、戦争とは隔絶された世界で順調な高度経済成長を遂げている時代であり、海一つ隔てた韓国との状況とは大きな差が生まれていた。

 また台湾も日本が領土放棄した後に中華民国への統治移行が比較的スムーズに行われたようで、移行後にも何度か大陸との軍事的緊張の高まりは有ったが、戦火に見舞われることはなく領土も民衆も平穏にここまで来ているという状況となっており、同じ時期に日本の統治下から開放された韓国とは対照的な道を歩んでいる。
 
 日本にとっては平和憲法に守られて当然の如く戦火から離れたその道を歩んで来た感のある終戦後からの時間であるが、同じように米国と同盟関係を結んできた韓国からすると、韓国だけが世界の穢れ役を引き受け苦汁を舐め苦労をしてきたと感じ、逆に日本だけ米国から防共の役割を免除された不平等さを感じていた可能性はある。

 また戦争で負けたはずの日本が繁栄し、その支配から解放されたはずの自国が上まわれないことに理不尽さを感じていた可能性はある。

 その後、韓国も日本の資金提供などにより漢江の奇跡と呼ばれるほどの経済発達をし、1988年にはオリンピックの開催、さらには2002年にはサッカーのW杯も共同開催をするまでになったのだが、やはりどこか日本の評価を追い抜くまでには至らなかったようで、日本に対する嫉妬的な反日活動は収まらなかった気がする。

 つまりこれらの事業をやり遂げた後でさえも未だ国家としての自信を取り戻せる状況にはならなかったようなのである。

 ひょっとするとは未だどこかで売春国家の目で見られる侮蔑を受けているのかもしれず、かつて風俗で働いた女性が無かったことにしたいと思うような過去の劣等コンプレックスを引きずっており、その原点として日本の残していった慰安婦施設が狙い撃ちされ、あれは自国の意思で作ったものではなく日本に強制されたものだと、世界に対してエクスキューズしているのかもしれないという気がする。

 まあ日本は敗戦によって統治放棄をし、さらに日韓基本条約により戦後処理は終了しているはずなのだから、それ以降のことはもう韓国自身の責任であるのだが、未だ国としての自信を持ち切れていない劣等コンプレックスが続いているのか、日本に対して異常なまでの執着心を見せているのが現在の韓国の実情のようである。

慰安婦問題の前に

 某市長の発言により、再び慰安婦問題が世間を騒がしているが、世間の視点とは少し違う視点でこの慰安婦に関する問題を考えている。

 世間では慰安婦にされた女性の人権問題ばかりが取り上げられているが、慰安婦の問題は確かに重要な問題であるが、これはそれ以前に軍隊と言う存在をどう考え、軍人の人権というものをどう考えるかの問題も含んでいる気がする。

 人類にはあまりにも太古の昔から軍隊というものが存在し、それが当たり前の人類の歴史になっているため、兵隊にさせられた人間に対して人権がどうのこうのという議論は、学術上はともかく世間ではほとんど議論になってないが、兵隊に強制的に徴収され命の危険にさらされる戦場に送られている状況は、現代の普通の社会の尺度からすればやはり人権侵害と言える面があり、慰安婦問題と同様に憂慮すべきことであると思う。

 まあ今更、人類の戦争の歴史を批判しても始まらないし、今や徴兵制ではなく多くの国家の軍隊が志願兵制度に移行していため、自由意思によるものだということであまり問題にはならなくなったが、今でも一部国家では徴兵制度が残り、国民に対して兵役を義務を課している。

 もちろんスイスやオーストリアのように強い自治意識のもとで国民が納得ずくで徴兵制をやっている場合もあるが、大半は権力者の押し付けで徴兵制であるような気がしておりやはり人権と言う面でどうなのかという気がする。
 特に日本の慰安婦問題を強く非難しているかの隣国でも現代においても未だ徴兵制が残り、日本のかつての慰安婦制度を批判するなら現在のおたくの徴兵制は人権侵害じゃないのかと言いたい面もある。

 確かに日本も戦前は「お国のために命をささげて働くのは当然だ」的な強引な理論がまかり通って兵役を拒否することは許されず、もちろん喜んで兵役に参加した人もいようが、どちらかと言えば敵に銃口を向けなければ今度は自分が背後から撃たれたれる恐怖があったり、家族が世間の嘲笑の目にさらされるような脅迫意識の下で、敵へ挑んでいった人も沢山いたと想像し、やはりそれも今の尺度から言えば自由意志の否定と言う人権侵害だったと言える気がする。

 そして軍隊あれば必ず起きてくるのが性処理の問題で、これは軍隊がある限り太古の昔から必ず存在し、放置すればレイプなどの暴力が軍隊の駐留地で多発してきたのが軍人と軍隊の歴史であり、それをコントロールするためにかつて慰安所という管理方法を利用していたのが軍隊の歴史である。

 歴史と書いたが、現在でも軍隊は世界中に存在し、生身の人間を家族から引き離して、軍隊の中に閉じ込める限り性処理の問題は現在でも存在するわけで、各国軍隊はその管理に苦慮しているのが現状であり、我慢しろとか理性を持てなどと言葉上だけで言って解決するものでもないだろう。

 さらにこれは軍隊の問題に限らず、現代の企業による単身赴任やスポーツ選手の遠征などにも同様の要素があると言え、まあ1~2週間の短期間ならともかく半年1年となれば性の問題は軽んじることはできず、慰安手当てを出せとは言わないまでも、安易な転勤で居住地移動させ、家族と引き離して単身赴任行動をさせるような人事処理は極力控えるべきで、僅かばかりの転勤手当を払えば済むといった問題ではないという気がする。

 つまり慰安婦問題が発生する前段には必ず、軍隊制度などの男性に対する人権問題が存在し、そこを解決しなければ、結局は慰安婦問題だって解決しないということになるのである。


日本人として当然はいつからか?

 時々聞かれる「日本人として当然」という言葉。

 礼節から始まって、日の丸国歌天皇制との向き合い方の問題まで幅広く言及される「日本人として」という言葉だが、実はその具体的なイメージが作られたのはいつの頃かというのが最近非常に気になった。

 全てにおいて大きな転機になったのは、やはり明治維新以後の明治政府の政策による誘導が大きい。

 江戸幕府によって治世が行われた頃の日本は、現代の尺度から見れば全く問題が無いとは言えないまでも非常に安定したものがあったが、鎖国という特殊状況が故に進歩も遅れ、世界から遅れた状況になっていたのが幕末の状況である。

 それを軍事クーデーター的に天皇を担ぎ上げて政府を作ったのが明治政府で、尊王討幕の言葉の意味合いからすれば武力政権(江戸幕府)を倒し徳の政治(王の政治)へ移行したことになるが、まあ私から見ると実際は逆で、徳で治めていた国を軍事的に倒した軍事政権的色合いが強かったのが明治政府のような気がする。

 その明治政府の下、作り上げられたのが今にも影響を残す「日本とはこうだ」というイメージ像で、国をまとめ上げるために作られたこのイメージは軍隊教育的な匂いが色濃く、それ故に現代までも一部の人間に強く影響を与えているが、実は歴史的時間で言えば明治維新から敗戦までのたった150年ほどの間に作り上げられたものに過ぎない。

写真はイメージ

写真はイメージ

 例えば天皇制は確かに2000年以上ものあいだ続くとされる制度ではあるが、鎌倉以降は武家政治の時代が続いたため、この約700年もの間は現代の象徴天皇制のような位置付けが続いていた。
 それを政治の看板として改めて引きずり出したのが正義の看板が欲しかった明治政府であり、それ以前の江戸時代の庶民にとっては既に世の中で権力を持って偉いと感じていたのはやはり天皇ではなく自分の領地のお殿さまであり、幕府の将軍であると思われる。

 日の丸とて、その存在自体はは平安時代頃からあったようだが、実際に国の標識として使われ始めたのはやはり明治維新前後からであり、国歌も同様で、ましてや国旗に敬礼をしろなどというのは明治政府の軍隊的教育以外の何ものでもない。

 また性的観念なども、今でこそ日本人は慎み深くあるべきだという考えが主流だが、これも明治政府が欧米列強に肩を並べるためにキリスト教的道徳観念を国民に強いた結果であり、それ以前の日本人は長きに渡ってかなり性的に開放的であった事が資料から伝わっており、現代の道徳観念までも否定するつもりはないが、決して「日本人として」伝統的にその考え方があったわけではない。

 さらに明治政府は、廃藩置県により地域にあった自治の体系を壊し中央集権の国家に作り変えてしまったため、日本の自治の土壌を失くし、今に続く官僚政治や、藩ではなく日本という大きな枠のイメージを作り出し、最終的に新たに統治に都合の良い「日本人とは」とか「日本とは」というアイデンティティを生み出すのに成功したのではと思われる。

 どうもこういった点は大きな声では言えないが、現在のどこかの国と似た面がある気がしてならない。

 これらのことを考えると、今の人がよく口にする「日本として」のイメージは、実は明治政府が意図的に作り出したナショナリズム的なイメージであり、日本の歴史の中では必ずしも伝統的に長い間存在していたわけではないことになる。

 明治政府は国の制度の近代化という面である一定の役割を果たした面は確かにあるが、それと同時にそれ以前に長くあった自治的結びつきや日本の文化を多く破壊したという面もあり、欧州列強を意識過ぎたばかりに明治維新以後に出来た日本という枠は決してプラスばかりではなかったという気がする。

 ましてや、日本の敗戦によって民主国家として再出発してから70年近く経つわけで、そろそろ国民や政治家は明治政府の呪縛から解き放たれてもいい頃なのではないかという気がしている。