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春節にあって元日にない根拠

春節(旧正月)にあって元旦(元日)にないもの。

答えから先に書くとそれは暦の上でその日を定める根拠ということになる。

「旧暦」つまり月の動きを使った太陰暦をベースにした中国の正月である「春節」の日は、毎年「新月の日」と決まっている。

春節の花火2011

春節の花火2011

それゆえ西洋のグレゴリオ暦を使っている我々日本人からすれば、春節は毎年の日付が移動する為に不便さを感じる面は少なくなくないが、春節の決定はきちんとした暦の考え方、つまり月の動きに基づいて決まっているので、何らぶれることが無い。

同様に例えば旧暦の7月7日の七夕は必ず半月であり、伝説の由来から言えば月が天の川を渡る舟になったということから、七夕の月は人が乗るため半月でならなくてはならないので「7日」となっているなど、それぞれに根拠がある。

さて振り返ってグレゴリオ暦を調べてみると、その1年の精度は非常に高いものがあるものの、肝心のスタートとなる1月1日元日の設定にはほとんど根拠がないようだということが分かった。

確かにグレゴリオ暦の精度が高いため、毎年の1月1日の黄道上の位置はほぼぶれることが無いようなのだが、問題は何故そのタイミングが1月1日と設定されたかということになる。

太陽の動きをベースにするグレゴリオ暦の精神に従うのなら、本来の元日の最も分かりやすい基準は「冬至」であり、冬至が1月1日なら春分は4月1日前後、夏至は7月1日前後、秋分は10月1日前後と太陽の位置と月の区分の仕方がほぼ一致することになる。

まあ1年が正確に365日ではなく、365日と5時間45分45秒ほどと半端であるから夏至の日付などそれぞれは一定しないかもしれないが、この点に関しては太陽暦なのになぜ「月(month)」という制度がそのまま残ってしまっているかを考えると、夏至の日付が一定しない不合理な理由は「月の定め方」にあると言える。

今の暦では月の定め方として毎月の日数が同じでないばかりか、その大小の月の並び方にも一定性がなく、しかも閏年の閏日(2/29のこと)の挿入時期だってよく考えれば中途半端である。

この太陽暦と月の定め方についてはグレゴリオ暦の前身であるユリウス暦採用の紀元前153年まで遡ってしまうのだが、どうやら当時の宗教的政治的思惑で月の日数配分が決められたらしく、それが変えられないまま現代まで2000年以上も続いてしまっている。

それ故に現代のグレゴリオ暦の中では、冬至でも何でもない黄道上のある地点が、ぽつんと1月1日の元日として定められ、我々日本人はその日を「初日の出」だの「正月」だのと言って大切にしてしまっていることになる。

まあ伝統行事の形と言ってしまえばそれまでだが、日本がグレゴリを暦を導入する前の天保暦などのほうがよほど天文学的に根拠のある正月を定めていたと言えるはずなのに、今は根拠があるのだかないのだかよくわからない日を元日・元旦と言って崇めている我々がいる。

これもどうやら当時の明治政府の政治的思惑によってグレゴリオ暦に改暦させられ(一説によると13か月目の給料を払いたくないから12か月の制度に移行したとも)た時にこうなってしまったようで、その時に変えられてしまった正月の設定が実は現代まで続いている。

ゆえに現在では真冬の寒さ真っ只中の季節に「新春」などピンと来ない言葉を書くことになる。

こうして考えると日本の伝統文化を有形無実にした罪は明治政府にあるとも言えるのである。

本来はグレゴリオ暦の導入と同時に二十四節の設定をきちんとやり直し、文化季節は文化季節として残し、例えば中国のように春節(旧正月)を正月とする制度を残せば、今のような「形だけの正月」を祝うような文化にはならなかったはずなのに、残念ながら今の日本の正月は「形だけの根拠の無い正月」になってしまっているのである。

まあ、このように不合理な面がいっぱいの現代のカレンダー制度であるが、世界中が長い間これに基づいて動き、今ではコンピューターなどの面でもシステム化されてしまっているため、今更不合理だと気付いても変更というのはほぼ有り得ない話ではある。

しかしせめて地球に生きる生物として季節文化を大切にしていくため、二十四節季のようなものは再定義をして、太陽の動きに基づいた季節を計りやすい物差しをつくり、それに合わせた社会の季節行事を再定義してもいいのではないか、中国の春節制度を見ていてそう感じざるを得ないのである。


映画「八甲田山」を見た

 以前から見たいと思っていたのに、なかなか機会を見つけられずにいたのだが、先日DVD店でこの映画を見つけたので買って見ることにした。

 1977年に公開だから、もう既に32年前の映画である。

 何故興味を持っていたかというと、子供の頃にこの映画をパロっていたテレビ番組が多数あったのが頭に残っていたのと、最近中国に来てから日本と中国の近代史の情報を時々インターネットで調べるようになって、日清日露戦争時代前後の情報として、この八甲田山遭難事件にも興味を持ち、映画も見てみたいなと考えていた。

 もっともこの映画は、実際に起きた事件をベースにはしているものの、後に創作された新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」を原作として映画は作られている。

この小説はドキュメンタリー的なノンフィクション小説として扱われることもあるようだが、作者の手でかなり脚色が加えられているのでフィクション作品として見たほうが良い。

 小説や映画は青森隊と弘前隊で競ったような書かれ方をしているが、実際にはたまたま日時が重なっただけで関連なく二つの行軍が行われたとのことだ。

 さて、この映画、実にキャストが非常に豪華であることが驚きだ。主役に高倉健 北大路欣也 三國連太郎 加山雄三 そしてそのほかにも前田吟 緒方拳 小林圭樹 下條アトム 東野英心 島田正吾 大滝秀治 丹波哲郎 藤岡琢也 花沢徳衛 森田健作などなど、目がくらくらするくらい名の通った俳優達が大勢参加している。映画作成から30年も経っているので今ではかなりの俳優が亡くなってしまったが今のネームバリューでこれらの俳優を集めたらギャラだけでいったい幾らかかるのだろうと思われるほど豪華である。

 音楽も芥川也寸志とこれまたとんでもない人選である。

 もちろん女優も名前だけは負けておらず栗原小巻、加賀まり子、管井きん、秋吉久美子が出演している。
ただしこの映画は基本的に男性だらけの映画であり、およそ唯一秋吉久美子が紅一点案内人としてストーリーに花を添えているに過ぎなく、それ以外は基本的に男だけの戦いである。ラブロマンスの要素は一切ない。

 まあいまどきこういう映画も珍しい。

 さて具体的なストーリーは書くと長くなるので省略するが、この映画を見ると日本の硬直した縦社会が、いかに組織に悪影響を与えてしまう可能性があるかがよく分かる。

 きちんと細かい配慮や準備して挑んだ高倉健の弘前隊が難しい行軍を成功させ、同じように準備しようとしながら見識のない上司の横槍を受け入れざるを得なかった来た北大路欣也の青森隊が悲惨な末路をたどるといった対照的な描かれ方をされている。 

 雪の怖さを考え隊長以下少数精鋭で臨んだ弘前隊に対し、青森隊は上司の横槍でまず編成の段階から思うに任せられず力任せの中隊を背負わされ、故に満足な教育が行き届かないまま行軍実施を迎え、さらには行軍に随行してきた上司の不見識な命令(案内人を断るなど)で指揮系統が混乱し、結局は隊の士気さえ下がり戦う力をなくす結果となってしまったのである。210人参加して生存者11名。生存者がいただけ奇跡のような話である。

 これは明治時代の話であるが、今の日本社会にも通じるところもあるように思える。間違っているとは思ってても上司の判断を受け入れざる得ない場合があり、結局初めから先行きが分かっていながら、みすみす失敗を招いてしまうことは良くある話だ。

 まあ、駄目なものは駄目といえることが本当は理想なのかもしれないが、なかなかそうはいかない日本人の社会である。
 この映画を見てそんなことを考えてみたが、現在明治維新のような勢いで変化を続けるこの国にもあてはまることがあるように思えるのは私だけであろうかと考えてしまった。

曜日リズム感覚のない中国

上海で仕事をしていて、時々感じるのは中国人には曜日という感覚があまりない。
 あるのは週末の休みの区分だけで、月曜だからどうとか金曜だからどうということはまりないらしく、おおよそ平日と休日の区分しかない。
 これはテレビ放送にも言えて、中国のテレビ放送は、ジャンルごとに専門チャンネルとなっている理由が大きいのかも知れないが、日本の月9のドラマとか、一週間に一回の放送枠というような番組の組み方はされず、例えば30話のドラマなら、平日に一日3話ずつで3週間で一気に放送してしまう。なので、一旦一つのドラマを見始めたら見終えるまで毎日定時退社しなくてはならない(笑)

 こんなテレビ放送の習慣だから、見る側も月曜だからあの番組、火曜は見る番組がないから残業するといった一週間のリズムが大よそつかず、結果として月曜から金曜まで並列な扱いになってしまうのだ。
 そもそも、中国語の曜日の呼び方は星期一から星期六と、週休1日制の名残なのか日曜日だけの星期天のように特別扱いで、月曜から土曜までは序列の番号を便宜上与えられただけの輸入された文化だということがわかる。

 七曜暦という呼び方は古くからあったようだが、生活のリズムをそれにあわせていたわけではなく、それ以外はのべつまくなしに働いていたようで、正月やごく僅かな期間の休みしかなかったようだ。
 そういった農村的習慣から、ようやくこの20年ほどの経済発展で1週間に1回あるいは2回休むという近代の労働習慣が入ってきたのだが、社会全体の人間のリズムがまだ追いついておらず、1週間というリズムが身についていないように思える。

 もっともこういった事情は日本も同じようで、1週間を7日とする曜日という文化が入ってきたのは、明治以降になってからのようで、それ以前の農民たちは休みなくほとんど働いていたようだ。

 よく今の中国の状況を日本の昭和30年代の高度経済成長に例えている人がいるが、私が感じている今の中国人の社会習慣は日本の明治維新のほうが近いのではないかという気がしている。