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徴用工問題と入管法改正問題

いま日本の国会で、外国人労働者の受け入れ拡大を目指して、入管法の改正問題が審議されているが、あまりにも外国人労働者の人権を軽んじて現状を直視していない内容に野党などから批判の声が集まっている。

日本政府としては日本国内で労働人口の減少により、急激に日本の生産力が低下していたり市場が縮小していることに危惧していることから、産業界の要請もあっての労働者の受け入れ強化を目指しているのだと思われる。

しかし労働者の家族の呼び寄せを認めず5年間拘束しようとするなど、あまりにも良いとこ取りの都合の良い政策に計画の稚拙さを問う声は多い。
私の目から見てもあまりにもアジアの人々をバカにした政策のように映り、労働者を生活を抱える人として扱ってない姿勢に首をかしげざるを得ない。

一方で、日本の近隣では韓国国内の日本統治下における徴用工の問題で、日本企業による当時の強制労働に対する賠償請求に対する判決が出て、日韓の間で国際問題になっている。
この問題に関しては、1965年に締結した日韓請求権協定によって日本から賠償金代わりに無償の円借款3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドルの融資が出ていることから、個人への個別の補償は韓国政府が行うこととなっているとして、日本政府は日本企業に請求に応じないよう求めている。
まあ私も日本語の資料しか読んでいないが、この問題については日本政府の立場に基本的に意を同じくしている。

ただまあ、現代において「誰が賠償すべきか」という問題はさておき、当時の日本企業が現地の人間を劣悪な条件で徴用して働かせていた歴史があったことも事実である。
当時の企業経営者がそういう発想で労働者を扱っていたのである。

韓国併合時代の朝鮮半島統治に関しては、日本政府は単なる併合であり植民地支配ではないと主張し、一方で韓国側は植民地支配だと主張しているが、こういった徴用工問題の実態を見ると、表向きは併合でも、中身は植民地的奴隷扱いもあったと思われても仕方ない実態だったことになる。

さて現代に振り返って現在の入管法改正問題に重ねてみると、日本の企業経営者や政府首脳の外国人労働者に対する視点というか発想は何も変わってないのではないかと思えるのである。

表向きは技能実習生などという名目で体面は整えていながら、実態は劣悪な環境と低賃金でアジアなど周辺国の労働者を利用している。
このような姿勢は、韓国併合時代の日本やり方そのものに重なるところがある。

少なくとも現時点までの技能実習生の実態からは、この制度が単なる低コスト労働力の供給にしか使われていないことは事実であり、これによって間接的に日本の労働者の賃金が低く抑えられている実態もある。
それによって日本人労働者の不満が在日外国人に向けられている状態も戦前と全く同じである。

故に現代において労働力不足を理由に外国人労働者を受け入れようとするならば、戦前の反省に立って、しっかりした受け入れ体制を整えることが大事であり、彼らは低コスト労働努力ではなく高コストで受け入れる助っ人外国人であるというくらいの認識が必要なのではないだろうか?

また日本人と対等な近隣な労働者である発想のものとに、日本人同様の義務と福利厚生の権利を付与すべきであろう。

逆に過去の徴用工問題や慰安婦問題についても日本が現代的立場で強く外国に日本の主張を訴えるならば、現代の労働者問題についてもきちんと過去の反省に基づいた外国人労働者の受け入れ態勢を整えなければ、幾ら口で過去の反省を言っても説得力を持たないのである。

偶然にも同時期に起きたこの二つの事象を並べると、日本政府や経営者が本当に反省すべき点が見えてくる気がするのである。


サッカーがもたらす国際関係の光明

 先日行われたサッカーの東アジアカップの関連記事を読んでて、ちょっと気になる印象の記事を見つけた。

 まあ現時点でかの大会のニュースとして注目を集めているのは「韓国のサポーターが試合中に掲げた横断幕が政治的だ」「いや旭日旗が先にあった」だのなんだのと言うこれまで同様の日韓関係のいがみ合い的な記事ではあるのだが、その中に幾つか毛色の違うニュースを見つけたのである。

 どういう記事かと言うと、なんと韓国のサッカー雑誌のサイトの記事で日本の成長を素直に称える記事が出ていたというのである。

 今回の大会は中国を除いて各国ともその国の1.5軍とか2軍と言えるような選手が参加しており、日本もその例に漏れなかったのだが、そんな状態でも日本は優勝し、その試合内容について韓国のメディアが「想像より遥かにレベルが高かった」と素直に日本代表チームを褒め称えていたとのことなのである。

 これまで日韓戦に何かと言うと捻くれた評価や言い訳をしていた印象のあった日韓戦の試合評だが、ここまで素直に評価する姿勢は今まで無かったような気がしており、政治的な言葉が排された表現にちょっと驚いている。

 また上記の横断幕問題についても、サーチナさん掲載の記事によれば韓国のネットユーザーから

「国の恥さらし」、「スポーツはスポーツとして楽しむ姿勢を持ってほしい」「サッカー場で政治、歴史は自己満足に過ぎません。世界的にはむしろ嘲笑を浴びる行為」、「スポーツと政治、歴史問題は別であることは、すでにロンドン五輪のサッカーの日本戦の時にみんなよく分かったんじゃなかったの?」
(以上【韓国BBS】韓国サポーターの横断幕問題、「国の恥さらし」から抜粋)
 と自国のサポーターの行動を批判する声が上がっていたという。

 さらに韓国日報もこの件について旭日旗と横断幕の件を平等に扱い「両国とも成熟必要」との趣旨の記事を載せていたという。

 まあ日本側からすると旭日旗の件に関しては、旗自体が元々禁止されているものではないし、掲げていたのは日本人ではなく悪ふざけをした韓国人の所業との噂もあり「両国とも」と言われてしまうのは納得しづらいものがあるが、まあそれは自国側の面子を立てたとも考えられ、ともかくこのように自国の過激な行動を諌める論調が韓国国内に芽生えてきたのはこれまでに無かったことのような気がする。

 つまり、これまで「抗日無罪」とも言われていた韓国国内論調が、例え日本が相手でも「サッカーと政治は別物である」という冷静な意見がきちんと表だって出て来るようになったようなのである。

 このことは私から見ると韓国社会の一つの成長と言う気がする。

 もちろん、これは一部の人間がサッカーと政治が別物という区別が出来るようになっただけで、韓国全体の日本に対する政治的主張が改まったわけではなく従来の政治主張はそのままであるのだが、少なくとも何でも抗日無罪ではないという冷静さが生まれており、つまり以前には無かった国際的な常識感覚が生み出されているような気がするのである。

 まあこういった冷静な視点が韓国全体の論調となるまでにはまだ暫く時間がかかると思うが、少なくともサッカーの試合に関してこういった論調が出てきたということは、今後の日韓関係にとって一つの良い兆しの様な気がする。

 現在の日韓関係には慰安婦問題や戦前の未払い賃金請求問題など、幾多もの難問が山積してはいるが、冷静な視点で物事を解決しようとする意識が高まれば、そういった問題もいずれは解決できるような気がする。

 今回の東アジアカップの大会で日本代表が成長を見せたことが、実は国際関係の改善にも光明をもたらした、そんな気がしている。

 さてさて中国との関係はサッカーで変えられるだろうか?

被害者の心理と言動

先日、某お笑いタレントの男性が女性から強姦被害を訴えられていた裁判で、被告の男性側の言い分が認められ、お互いの合意の下での関係だったとの判断が下されたとのニュースがあった。

 まあ、この事件の詳細を確認した訳ではないが、訴えていた被害者側の言い分と言うか言動を見ていると、明らかに男性側に訴えられているような内容はないなという気がしたので、判決は妥当だったのではないかと見ている。

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 何故なら、私の偏見かもしれないが、強姦の様な辛い被害にあった女性はその事実を消してしまいたい心理の方が強く、今回のように相手を強く攻撃するような言動は取らないような気がするからである。

 相手を強く攻撃するということは、相手を傷つけたい、事件の仕返しに相手にも傷跡のをしたいという心理がその根底にあるのだが、このような相手に跡を残したい心理反応というのは性犯罪の被害者心理とは相反する面がある気がするのである。

 性犯罪の被害者は恐らく、全てを無かったことにしたい、忘れたいというのが心理であるような気がしており、それ故に加害者にでさえ、その跡が残って欲しくないと思っていて、本来は裁判にさえ出たくない場合が多いという気がする。

 故に強姦を訴える女性の多くは周囲の協力の下で被害届を出しており、原告側の強い主張があったとしても、それは本人を気遣った周囲の人間の主張であり、そのあたりは裁判関連の記事の文脈を見ていると微妙な差があることがわかる。

 逆に本人自身がこういった攻撃的な言動を取り、犯罪行為だと訴える行動は、相手に自分を認めさせたい、相手には自分という存在がいたという証拠を残したいという愛情の裏返しの憎しみの心理なのではないかという気がする。

 もちろん単なるお金目当ての美人局の場合もあるが、そうではない場合は元々愛情が存在していたのに別れた事実を受け入れられず、裏切った相手は許せない、傷つけてやれといった自らを正当化する為のエクスキューズとして相手を攻撃している気がするのである。

 それ故に冒頭のお笑いタレントの裁判の件は、原告側の主張がかなり攻撃的だったため、少なくとも最初は合意の下での関係が成立していたのだろうという推測が成り立つのである。

 このことは、実はかの柔道の某金メダリストの事件にも言え、あの裁判の一審では無茶苦茶な判決理由で被告は有罪となったが、私の推測では合意か強制かの判断で言えば当時は合意の下での関係であったと推測し、問われている準強姦罪の罪に関して言えば無罪だと感じている。

 そのくらい原告側の言動が攻撃的であるように感じ、実際報道で伝えられている2人の行動には強制的な関係だったと判断するには矛盾があると言われている。

 恐らく原告の女性は、被告と愛情関係を結べると思って行為に応じたのに、その直後に他の女性の部屋に遊びに行ってしまうほどの遊び人だと知って、裏切りを感じたのであると思われる。

 女性からすれば愛情の詐欺にあったようなものだが、結婚の約束をしたわけでもなければ自由恋愛の世界では、なかなか裏切りに対する仕返しをすることが出来ず、それ故に関係を強制されたと主張になったのであると推測でき、かの強い主張が出て来たのだと思われる。

 ただまあこのように、法律上の事実関係の点で言えば犯罪は成立していないとの推測はできるのだが、現実的に被告の行なってきた行為は社会マナーに反すると非難される行動であるのは間違いない。

 それ故に既に被告の社会的地位は失墜しており、もし上告審で無罪が認められたとしても今後日本の社会の中で生活するのは困難であるという気がしている。

 であるならば、現実の事実はどうであれ、この件に関しては一度服役したという状況を経てから社会復帰したほうが彼の為でもあるかもしれないという気がする。

 このように本来は攻撃的になりにくいはずの性の被害者が、攻撃的な主張をするというのは何処か事実に矛盾があるという気がしている。

 そういう点で言えば現在も問題になっているかの慰安婦問題も同様で、慰安婦の苦しみを訴えて銅像などを建てて後世に残したいと言う行動は、一般の性被害者の心理傾向から考えればどこかその心理に矛盾があるように感じるのである。

原文