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磯崎新さんと上海

 先日、日本の建築家の磯崎新さんが、「建築のノーベル賞」とも言われる「プリツカー賞」を受賞したことがニュースとして報じられていた。
 建築デザインの世界にあまり明るくない私なのでこの賞の重みがそれほどわかっているわけではないが、磯崎新さんの名前は知っており、彼は私の現代建築界への興味の入り口となった建築家でもある。
また彼がデザインした建物のいくつかが私の人生の中で結構身近にあったので、そういった面でも親しみを感じている建築家となっている。

 まず、その発端となったのは水戸芸術館との出会いである。
 水戸芸術館はスネークキューブのような不思議なデザインの塔が印象的な場所ではあるが、あの建物は設計案をコンペで募集した際、多くの建築家が外見上の形式からアプローチした案を提出したのに対し、磯崎さんは哲学的というかデザイン的要素を排してコンセプトを軸とした提案を行ったとされていて、それ故に選ばれたという話を建設物語として読んだことがあった。
 そういった概念的視点で建物を捉えるという発想が自分にはそれまでなかったので、とても新鮮な建築思想であるとの印象を受け、さらに水戸芸術館という存在に興味が湧き、以降磯崎新氏の名前は自分の頭に刻み込まれることになった。
 そして、建築順序は逆になるが、自らが芝居をやっていた関係で、東京グローブ座や、さらに遡った時代の作品の利賀芸術公園(富山県)の野外劇場も訪れたことがある。

また、現在は閉館となってしまったカザルスホールのある東京・お茶の水スクエアも、20年以上前にコンサートに良く通った記憶があり、気が付かないうちに結構多くの磯崎作品に触れて人生を歩んできたのである。

そして12年ほど前に私は上海に来てしまった訳だが、実はここ上海にも磯崎新氏の建築作品が置かれ始めている。
一つは上海浦東区のヒマラヤセンターで、大きな展示会場である新博覧中心に隣接し、やはり劇場や展示空間を含んだ公共施設的概念の空間となっている。
海岸の切り立った岩壁を想起させるような不思議な外観の建物であり、開業したばかりの頃のイベントに参加した後はほとんど訪れてないが、現在は「上海証大喜瑪拉雅中心」の名となり内部の劇場では。時々日本から来た舞台なども上演されている。

上海証大喜瑪拉雅中心

そしてここ数年、私が何度も通っている上海交響楽団音楽庁(コンサートホール)も実は磯崎新氏の手によるものである。
 内部のコンサートホールの音響設計は日本の永田音響設計事務所が請け負われたようだが、外側は磯崎新氏のものであり、そう言われてみると私が慣れ親しんだ水戸芸術館と同じ匂いを感じる建物であり、居心地が良さを感じるのはそういった過去の体験との共通項を持った建物だからなのかなとも感じる。

上海交響楽団音楽庁(コンサートホール)

 どうやら磯崎氏は上海に「磯崎新+胡倩工作室」という、拠点のアトリエを置いて胡倩さんという方(お弟子さん?)とパートナーを組み、中国向けの仕事を行っている模様である。
 中国には上記の2つの建物以外にも、この事務所として取り組んだ作品が上海には幾つかあり、訪れたことは無いが、浦東新区の九間堂や、朱家角の水楽堂もこの事務所の仕事となっている。

朱家角の水楽堂

 また深圳や北京でもこの事務所の仕事の建物があり、どこまで磯崎氏が主体的に絡んだ仕事になっているか分からないが、すくなくとも磯崎氏のDNAが息づいている方たちの仕事であることは確かだろうに思う。
 
 磯崎氏は既に87歳と高齢ではあるが、まだまだ素敵な仕事をしてほしいものである。

国立競技場は沈めてしまえばいいのではないか

 2020年の東京オリンピック招致が決定して以降、そのメイン会場となるはずの国立競技場の建て替えを巡って、議論が迷走している。

 昨年のデザインコンペによって、イスラエル出身の建築家ザハさんさんの作品が選ばれたのは報道で周知されているとおりだが、その実際の建設の是非を巡って色々と議論が噴出している。

 その原因として、まずあのデザインで実際に建てるとなると当初の予想予算の1300億円を遥かにオーバーし、3000億円もかかってしまうという試算が出てしまっているとのこと。

 コンペの際にはこの予算というものは予め提示されているはずなのに、何故こんなことが起きるのか?

 ザハさんの地元では、これをつくっても日本でこれを作るより人件費等が安く、安上がりに仕上がるのではないかとの憶測も成り立つが、何よりも審査員に名を連ねている名だたる建築家たちが、デザインを見て総工費を予測できなかったことが非常に問題であり、1~2割計算が狂ったというならともかく、倍以上の差があるというのは審査員たちの建築家としての技量に疑念が生じる。

 さらに、建設予定地は風致地区でやたら大きい物や奇抜な物を建設したりできないような制限があるとのことで、神宮外苑という特殊な事情を持った条件があり、今回のデザインでは規模が大きすぎたり、風景にマッチングしないなどの点で、規制に抵触するとの意見が出ている。

 また陸上競技に使うにしてもサブトラックが考慮されず、あのままだと国際大会などに使えない規格に区分されてしまうらしい。

 こんなことも、本来はコンペ主催者や審査員側が事前に調べ、コンペ条件として参加者側に伝えておくべきであることだと思うが、どうも彼らはこれらのことを知らずしてコンペを開催したような雰囲気であり、全てにおいて勉強不足でスタートしている感が強い。

 どうも予算や建設場所、国際スポーツ運営に求められる特殊性のことなどを考えずに、見た目のインパクトだけを優先して選んだ感が強い気がする。

 そして、改修予算についても東京都と国で負担割合を巡って紛糾しており、都は「国立競技場」なのだから国でやるべきだとの意向であり、国はオリンピックのメイン会場なのだから負担を求めているよだが、是もやはり本末転倒でこんなことは、コンペをやる前の建て替えを決めた時点で決めておくべき事柄である。

 オリンピック招致やラグビーのワールドカップ開催が念頭にあっての建て替え計画だったかもしれないが、予算負担も決めずに建て替えを決めコンペを実施するとはやはり首をかしげたくなる段取りである。

 さてさて、表題の「沈めてしまえばいい」というのは何もこんな計画を失くしてしまえばいいと言っているのではない。

 今回のドタバタで、一番迷惑を被っているのは実際にデザインが選ばれたザハさんだという気がする。

 まああの流線形のデザインが良いかどうかの評価はともかく、折角選ばれたのに審査員や主催者側の不勉強のおかげで何だか批判の矢面に立っている感がある。

 予算オーバーを見抜けないのは審査員側の力量不足であり、地域特殊条件を知らされていないのは主催者側の勉強不足であり、ザハさんにしてみれば「選んだ奴が悪い」わけで、挙句の果てにデザイン修正を求められるかもしれないというのは、クリエイターとして傷つく行為だという気がする。

 故に、一度選んでしまったデザインであるゆえに選んだデザインに対して最大限の敬意を払う必要があるという気がしている。

 そこでまず一つ考えられるのは建設予定地の変更。

 2016年のオリンピック誘致計画の時は晴海にメインスタジアムが建てられる予定だったようだから、そこへ移動させてもよいのではないかという気がする。

 海に面していて、夏に行なうオリンピックのロケーションとしてもこの上ない場所である。

 今回の2020年計画では、かの地は選手村として構想されているようだが、選手村の代替地であれば、埋め立て地方面の活用でどうにでも都合がつくのではないかという気がする。

 しかし、国側は今回の問題提起について、デザイン変更で規模を縮小し予算縮小をはかり、場所も変更しないとしている。

 そこで私が思ったのは、ならばあのデザインのまま国立競技場を深く沈めてしまえばいいのではないかと思ったのである。

 あのデザインは、私から見ると「水に飛び込むスイマー」或いは「バラフライの泳ぎ」のように見え、もっと深く沈ませても良いという風に感じたのである。

 故に、あの車のバンパーのように見える周囲の部分を0メートル付近までおろし、全体の高さを抑え、中心部が地上にちょっとだけ顔を出す半地下競技場にすることにより建築面積や周囲風景に影響を与える規模の問題は解消できるのではないかという気がしている。

 問題は予算で、そのバンパーの部分や観客スタンドが立体構造物にならない形やを取れば、全体予算はやはり縮小できるような気がしている。

 まあこのままではサブトラックまではちょっと考慮しきれないし、ロードレースランナーには負担のある競技場となるが、本体の地上建築面積を縮小すれば、どこかにカバーする余裕が生まれるような気がする。

 とにかくあちこちの面子を立てた形で計画を進めるには沈めてしまうのも一つの案だと思ったのである。