Monthly Archives: 1月 2012

時間があれば何だってできる。

 最近この年になって思うのは、人生は時間があれば何だってできるということ。
例えどんなに難関と言われるということでも、時間さえあれば何だってできると思う。

 家を沢山持ったり、世界中を旅行したり、10か国語をペラペラになるまで練習したり、更には今から司法試験に合格したり、医師になったりすることだって不可能な事じゃないと思う。

 たいていのことは時間をかけて努力すれば、実現できない夢なんてない。

 まあ才能があるかどうかはともかくプロ野球選手なんかだって相当コツコツやれば、目指せるのではないかと思う。

 
そう「時間があれば人は何だってできる」のである。

しかし、言い換えれば

人間に与えられている時間は限られているので、人生で出来ることも限られている。

ということになる。

人間はいつまでも若くはない。
体力はいずれ衰える。
若く成長できるのはせいぜい20代後半まで。
寿命だってせいぜい80年で、それ以上長生きできたとしても
80歳の体力で新たにゼロから挑戦するのはかなり大変だろう。
 
そして何かを学んだり、努力をするためには時間がかかる。
その何かを学んでいる時間、何も食べずに生きられればいいが、
残念ながら人が生きている限り、食事をしなくちゃいけない。
どこかに住まなくちゃいけない
場合によっては他人を養わなくちゃいけない。
そのためには誰かの世話になるか、自分で稼がなくちゃいけない。
そしてご飯を食べるのにも時間がかかる。
風呂に入るのにも時間がかかる。

そして1日の1/3~1/4は寝る時間を取られる。
残念ながら人間は寝ないと生きていけないのだ。

そう考えると、人間が何かをやろうと考えた時、
使える時間は非常に少ないことに気が付く。

だから人は目指す山はそんなに幾つも選べない。 
人はどんなに大きな夢でも、どんなにたくさんの夢でも持つことができるが
叶えられる夢は限られている。

そう、人生は限られている。

写真はイメージ

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(私の嫌いなS氏も同じようなことを言っていたらしいが、決して受け売りではない)

だから人はそれぞれ違う自分の山を目指していて、小さな夢を沢山実現している人もいれば、とてつもなく大きな山を目指してずっと夢の途中の人もいる。

だから人生の途中で一つの山に登れたとしても有頂天になって自慢してはいけない。

それはその人が時間をそこに使っただけ。
ほとんどの他人は目指す山が違うのである。

だから私も、明日何をすべきかを考える。

原文

やっぱり風邪でダウン

 正月は順調にすべりだしたかのように見えた今年だが、やはり早速体調崩した。
金曜の夜から全身の節々が痛く辛い状況で、熱も39度近くに達した。

 最近どうも発熱すると一気に高熱になるような気がする。
以前はほとんどの場合38度前半に留まっていた気がするが、最近はよく39度近くに達する。

 どうしてか分からないが、まあそういう状況になってしまった。
 実際に吐くことはなかったが、喉のあたりを鼻水が刺激し、吐き気に近い状態になっていた。

 そして昨日はほぼ24時間熱が下がらず安静状態であった。

 病院に行くことも考えたが、もらえるであろう薬はほぼ手元に有るので、イブプロフェンを飲んで様子を見た。

写真はイメージ

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 どうも水分を取ってもうまく体が吸収してくれないようで、尿で流れてしまい、うまく汗がかけなかった。

 そこで昨日の夜中にインスタントの生姜湯を飲むことにした。

 すると、なんとか発汗が始まり汗をかくことができた。

 この間、困ったのは食事だがインスタントと宅配弁当を活用して何とか乗り切ったという感じである。

 そして今朝になってようやく熱が下がり始め、昼には平熱を取り戻した。
 薬で抑えている面は大きいのでまだ油断は出来ないが、とりあえず安心である。

 健康時はその差は感じなくとも、ひょっとすると中国の雑菌は日本よりも強烈かもしれない、そんなことを感じた今回の発熱だ。


安直すぎる議員定数削減論

 最近、日本の国内の政治改革や財政改革を叫ぶ人たちがほぼ口を揃えて言うのが、国会議員の議員定数削減せよという意見の気がするが、私はちょっとこの考え方は安直すぎるという印象を持つ。

 確かに国のコストのことだけを考えたら不必要な費用はできるだけ削減して欲しいというのは正論ではあり、国会議員が費用に見合った働きをしていないと考えれば数を減らしてスリムにするということはそれなりに筋が通っている。

 しかしである。

 代議士という言葉がある通り、もともと国民一人ひとりの意見を代弁するのが議員であり、そのために国会へ行って働いてもらっているということは忘れてはならない。

 つまり本来の民主主義の理想論から言えば、国民全員が政治に参加し国全体の運営の責任を取るのというのが原点であるが、物理的にはそんなことが不可能であるが故に便宜的に代議士制というスタイルをとっているのが実際だ。

 よってそういう原点に立ち返って議員定数削減論を鑑みれば、議員の定数を削減するということは国民一人あたりの政治への影響力をさらに小さくするということになり、国会議員一人が背負う国民の数が増えることによって、有権者一人一人にとっては個人個人の意見を国会に伝えるパイプがどんどん細くなるということに他ならない。

 つまり選挙で投票に行っても死票が増えるし、議員個人に有権者として国政への要望を伝える機会も減るのである。
 それだけ政治に参加させてもらえる機会を奪われるということになる。

写真はイメージ

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 そう考えると、単にコストのことだけを考えて議員定数削減を叫ぶというのは少々安直すぎる気がするし、自らが政治に参加している国民の1人ということを忘れ、他人に政治をまかせきりになっている無責任な意識態度の現われように映る。

 もちろん国の財政状況を考えれば議員定数削減案というのも一つの方策としてアリであるが、そのために削られる国民の意見を吸い上げる機会というものに対して何らかの手当てをしなければ、ますます国民に無責任な議員が増えてしまう気がするし、政治参加の自覚がない「人任せで文句だけ言うお客様な国民」が増えてしまう気がするのである。
 
 どこかの国と違って国民が政治に参加できる日本人の権利は大事にしなくちゃいけないと思う。